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轆轤迷走

同じ土同じ轆轤で同じ時挽きたる徳利同じにならず
(おなじつち おなじろくろで おなじとき ひきたるとくり おなじにならず)

土を練り土捏ねくりて土削り炎に委ね現る己
(つちをねり つちこねくりて つちけずり ほのおにゆだね あらわるおのれ)

齢を経て繕う技が上手くなり繕うばかり己が人生
(としをへて つくろうわざが うまくなる つくろうばかり おのがじんせい)

道楽で陶芸を習っている。2006年10月に始め、仕事の都合で2年ほど間が空いただけで今日まで続けている。週一回なので、日数にすれば2年程でしかない。きっかけというようなものはない。なんとなくやってみたかっただけだ。やり始めたら面白くてやめられなくなった。ただそれだけ。

週一回なので、一つの作品ができるまでに二三ヶ月ほどかかる。第一週:成形、第二週:削り、その後乾燥、素焼きを経て施釉、本焼きで完成。陶芸教室の窯なので、自分の都合では焼けない。そこで順番待ちが発生するので、自分で窯を持ってやっている人に比べれば余計に時間がかかる。それは承知の上でもあるし、いつまでに完成させたいというようなこともないので、一向差し支えない。

作陶で一番好きなのは轆轤を引くことだ。轆轤を気持ち良く挽くには土がしっかりと練られていなければならない。陶芸教室なので、陶芸用の土として流通している既に練り上げられた土を使う。いわゆる陶芸家が渾身の力で練り上げた、というような代物ではない。それでも、轆轤に据える前に、自分が挽きやすい柔らかさになるよう荒練りをし、土の中の空気を抜く菊練りをする。この作業で手を抜くと、轆轤で土殺しをしても、土がいうことをきかない。そうした下拵えをした上で、轆轤での作業をする。

轆轤で土が回転する。手で包み込むようにしながら土に触っていると、ある瞬間から土と手が一体となる。ちょっとした呼吸と力加減で、土の塊が器に変わっていく。ある程度の形になると、そこからは厚みの調整に入る。いわゆる陶工とか陶芸家となると、そこは自由自在なのだろうが、2年ばかりの若輩者なので、まだまだ恐る恐るの感が抜けない。茶碗、鉢、袋物、皿、最終形の用途として思い描く佇まいに応じた厚みというものがある。手に持って使う道具ならば薄手にして軽くしたほうが使い勝手は良い。花器ならば水を張り花を活けた状態で安定するようなバランスがある。単に全体の重さだけでなく、重さのバランスも使い勝手に影響する。骨組みがあるものではないので、形と重力との均衡が崩れるとそもそも形にならない。

手から生まれる形は自分の心の形のようにも感じられる。子供の頃、書道教室に通い始めたとき、先生に「おしゅうじは、せいしんしゅうようです」と言われたのを今でも覚えている。小学校に上がる前のことなので5歳頃だ。「せいしんしゅうよう」が何のことかさっぱりわからなかったが、最近、轆轤を挽いていて、ようやく「せいしんしゅうよう」というあの時の先生の声に「精神修養」という文字が重なるようになった気がする。もちろん、いわゆる陶工や陶芸家は商売なので、精神修養ばかりもしていられないだろうが、道楽のありがたいところは、呑気に精神修養ができることだ。

今、徳利を作っている。下戸なので酒のことはよくわからない。それでも昨年までは近所の居酒屋でわずかばかりの日本酒をいただくのが楽しみだった。感染騒動でその店が閉店(廃業ではない)しているので、再開したらまた出かけるつもりでいる。写真の徳利(徳利に見えないという貴重なご意見も既に賜っている)は5月22日に挽いた。最初、適当に土を取って挽いたらデカすぎるなぁ、と思い、次からは土を700gずつ計って作った。つまり、右の3本は同じ量の土でできている。29日に削り、素焼きができて6月12日に釉薬をかけ、昨日7月31日に焼き上がって持ち帰ったものだ。向かって左の2本は土灰という釉薬をかけ、右は卯の斑という釉薬をかけ、どちらも還元焼成をした。還元といっても電気炉なので「なんちゃって」還元なのだが。

できないというのは楽しいことなのである。世間では「デキる」ことに妙に価値を置いているようだが、できないことの楽しさが何故わからないのだろうと不思議に思う。引き続き徳利を作っている。6月19日に挽いた3本が施釉を終えて焼成待ちになっている。これには弁柄で下絵をつけたり、2種類の釉薬を掛け方を変えて施したり、いろいろ遊んでみた。昨日は7月17日に挽いた6本を削ってきた(24日は教室の休業日なので一週空いた)。焼き上がったらまた歌か俳句を付けてここに記すつもりでいる。

落語には酒飲みの噺がたくさんある。「替わり目」という噺が好きなのだが、あのなかで酔っ払った亭主が流しのうどん屋を呼び止めて、うどんを茹でる湯で燗をつけさせる。そのときの徳利はどんな徳利なのかなぁ、といつも思うのである。枝雀は「呉春」が好きだったらしい。私は下戸ではあるが、大阪の酒ならば「秋鹿」が好きだ。酒を頂くのは冷酒専門、熱燗はやらない。

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