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臨終図巻 60歳

年齢の替わり目になると山田風太郎の『人間臨終図巻』に手が伸びる。59歳は難なくやり過ごし、無事還暦を迎えた。

『図巻』によると、59歳で亡くなったのは司馬遷、モンテーニュ、クロムウエル、スタンダール、柳亭種彦、ハイネ、コント、フローベル、マゾッホ、孫文、徳冨蘆花、田山花袋、ジョイス、山本五十六、中里介山、本間雅晴、徳田球一、辻政信、五味康祐と、大きな仕事を成し遂げて逝った風がないわけでもない。私は個人的にここに桂枝雀を加えるのだが、あと10年とか20年とか長生きしていたとしたら、その後にどんな仕事を残しただろうかと惜しむ気持ちを禁じ得ない。つまり、「まだまだ」な感じを受ける。そういう意味で、50代は死からは少し距離を感じる。

これが60歳になると、ジンギスカン、日蓮、コロンブス、水戸斉昭、横井小楠、リヴィングストン、ドストエフスキー、スメタナ、クラーク博士、狩野芳崖、黒田清隆、明治天皇、森鴎外、辻潤、木下杢太郎、菊池寛、石原莞爾、ゲーリー・クーパー、小津安二郎、谷内六郎、戸川猪佐武と並び、なんとなく雰囲気が変わる。大きな仕事を成し遂げて逝った風がないわけではない、というような遠慮がちな感じはなく、名前から達成感が滲み出ているように見える。60歳を「還暦」と称してひとつの区切りにするのは人類共通の経験則と言っても過言とは思えない。

しかし、自分がその60歳になった達成感は無い。でも、逃げ切った感はある。時計の針が何事もなく回転しただけのことなのだが、少しさっぱりした。それにしても、戸川猪佐武は腹上死だ。相手は21歳の銀座のホステスだそうだ。すげーなー、と思う。ベストセラー作家とか、政治に関心を持つ人というのは、それくらいの溢れ出る生命力のようなものがないと務まらないのだろう。私はふにゃふにゃだ。「あ、ごめん、ダメだ」となって絶対に他人様の腹上で死ぬことはない。そういう意味でもさっぱりしている。ついでに思い出したが、首相を務めた橋本龍太郎は海外出張の時に担当の女性通訳を宿泊先の自室に招いて「慰労」することがあったという話を、「慰労」を拒否したという女性通訳が何かに書いていた。男性通訳はそういう「慰労」は受けなかったらしい。総理大臣になるくらいの人だからねぇ、簡単にさっぱりはしないわなぁ、と思うのである。

一般に「平均寿命」と言われているものは、正確には0歳時における「平均余命」である。厚生労働省が毎年公表している生命表の中に記載があり、直近では令和4年7月29日に「令和3年簡易生命表」が公表されている。それによると令和3年は男性の平均寿命が81.47、女性が87.57で、前年に比べそれぞれ0.09、0.14ずつ短くなった。注意しなければいけないのは、繰り返しになるが「0歳児における平均余命」だ。同じ表で男性81歳の平均余命は8.63、つまり89.63歳なのである。それは感覚として理解できるだろう。それまでに病気や事故で亡くなってしまう人が余命の算出対象から脱落していくのだから、生き残った人の余命は0歳児の平均より遥かに上をいく。

同生命表よると、60歳男性の平均余命は24.02年、つまり84.02歳なのである。0歳児時点の平均に対し2年半ほど伸びている。齢を重ねていくと、逃げ水のように少しずつゴールが先に伸びる。「もう何にも不安なんかない。今サイコーにシアワセ」という人にとっては、そういう状況が少しでも長く続くと感じられて結構なことなのだろうが、暮らしを立てるのに四苦八苦している身としては、こういうのはちょっと嫌な感じがする。

加藤九祚の『シベリアに憑かれた人々』(岩波新書)にはこんなことが書いてある。

むかしスキタイ人は六十歳を人生の極限と考え、それ以後は余生として、元気なうちに同族によって羊肉と一緒に煮て食われることを光栄と考えていた。

加藤九祚『シベリアに憑かれた人々』岩波新書 98頁

「むかし」と言っても相当な昔のことであろうが、そういう雰囲気がわからないでもない。人が役割意識を持つことで社会とか家族などの共同体での地位を確たるものにしているということは、おそらくどの社会にも共通のことであろうから、最後に同族の栄養として自らを提供するのは理にかなっている。そういう人生の終わり方を良しとする考えがあることに何の不思議もない。

かといって、自分がそういう最期を選択したいと思うかどうかは別の問題だ。尤も、ここから先の20年も30年も、ある程度健康に生きながらえるとしたら、あっという間のことだろう。それなのにこんなふうな毎日を過ごしていて良いものかどうか、少しは悩むのである。また、少しは憂鬱にもなるのである。わずかばかりの金銭のために、しょうもない仕事をしょうもない人々と共にしているというのは生命に対する冒涜としか思えないのである。しかし、さんざん冒涜を重ねて今更それをどうこう言うのも理不尽だ。冒涜ついでに最後まで冒涜を重ねてこそ自分に相応しい生き方であるのかもしれない。そんなことをうじうじと思いながら今日も日が暮れる。

ところで今日、佐川急便で『工芸青花』18号が届いた。その中の記事「古道具坂田とmuseum as it is 坂田さんの仕事 菅野康晴」によると、坂田さんは11月6日に亡くなったという。先日ここに青花の会の「古道具坂田と私」という講演のことを書いたが、その会がなんとなく坂田さんの思い出を語る会のような雰囲気であったことが今になって了解できた。

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