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月例落選 2021年12月号

汗流し厚きステーキ平らげて胃薬を飲む命は大事
(あせながし あつきステーキ たいらげて いぐすりをのむ いのちはだいじ)

焼肉の蘊蓄交え語り合う命の大事動物愛護
(やきにくの うんちくまじえ かたりあう いのちのだいじ どうぶつあいご)

二年ごと機種更新が必要な「サステナブル」なシステム語る
(にねんごと きしゅこうしんが ひつような サステナブルな システムかたる)

幾重にもパスワードかけ用心す残高ゼロの銀行口座
(いくえにも パスワードかけ ようじんす ざんだかゼロの ぎんこうこうざ)

我ながら人の悪さが滲み出ている歌ばかりだ。今日、『角川短歌』の12月号が届いた。今年はこの後、12月7日に『角川短歌年鑑 令和4年版』が発売になり、そこで令和3年の総まとめとなる。12月号は9月15日締め切りの投稿が掲載されている。

さて、12月号落選歌を順に見ていく。一首目と二首目は命の都合を詠んだ。山田風太郎の『人間臨終図巻』(徳間文庫)の二巻目の帯に

自分の死は地球より重い。他人の死は犬の死より軽い。

とある。世間、殊にマスメディアでは「命」がどうこうと喧しいのだが、単に人目を惹くとか、景気付けで「命」をどうこうと言わない方が良いと思う。なんだかんだ言ったところで、結局は自分の命ほど価値のあるものはないという思い上がりを語っているだけにしか見えないからだ。ナントカピースが執拗に捕鯨に目くじらを立てるのも詭弁にしか見えないし、肉や魚を美味いの不味いの言いながらさんざんに食べておいて語る「命」とは何なのだろうと思う。

近頃「サステナブル」が大流行だ。持続可能性について十分に配慮して、無闇に消費をしてはいけないという。しかし、日々利用している生活の道具や公共の施設は、今やIT化とやらで3年ほどで更新しないと役に立たなくなってしまうものが多い印象だ。新しいものが登場したときの謳い文句は「効率向上」「生産性向上」「経費削減」といったもので、新しいものにしないと「無駄」が増えて地球や懐に優しくないと言う。何だか詐欺の常套文句のようにしか聞こえない。

いつの間にか日常生活は情報通信機器抜きには成り立たなくなった。職場でも家庭でも、特に金銭のやり取りが絡む機会には長いパスワードが不可欠になった。別に他人に知られたところで何がどうと言うこともないようなところにもパスワードをかけるよう求められることもある。中には一つのことをするのに複数のパスワードが必要なこともある。時にパスワードを失念したり、控えておいたものを紛失したり、結果として用を足すことができなくなることがある。そうなると、ヘルプデスクなるところに電話で助けを求めることになるのだが、その電話がなかなか繋がらなかったりする。自分のものでありながら、自分の手の届かないところに持って行かれてしまったようなやるせない気分になる。それがたとえ残高数百円の滅多に使わない銀行口座であっても。

何より、情報端末を所有していないと日常生活が不自由になる。菅政権下で通信料金の引き下げが図られたが、端末の価格は馬鹿にならない。そういうものを持つには所得が必要だが、所得がないとそういうものが手に入らない。この円環の外にいる者はどうすればいいのか。なんだかITシステムというものが不都合を排除する装置のようにしか見えない。

ところで見出しの写真だが、12月号ということで寒い感じのものを選んだだけだ。池の氷の上に2羽の水鳥がいる。片方は座って首を丸めていて、もう片方は立っている。この立っている方が、少し歩いたところで足を滑らせた。鳥でもそんなことがあるのだなと感心して眺めていた。氷の上の鳥の写真を眺めていて、ふと『バムとケロのさむいあさ』という絵本を思い出した。『バムとケロ』はバムという犬とケロというカエルが家族のように暮らしている話だ。『さむいあさ』には「カイくん」という鴨だかアヒルだかが登場する。カイくんの趣味は天体観測で、或る寒い晩に池に浮かんで夜空を眺めているうちに、池に氷が張って動けなくなってしまう。そこにバムとケロが通りかかって救出するという話だった。昔読んだ話なので記憶があやふやだが、昔読んだ割には記憶しているのは、娘が小さい頃に絵本の読み聞かせで何度も読んだからだ。何度も音読しているので結構憶えている。以前にも書いたように若い頃は読書はあまりしていない。思い起こせば、本を多少なりとも読むようになったのは幼い娘に絵本の読み聞かせをしたのがきっかけかもしれない、と、今思った。


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