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六十七歳

「遅咲き」と言われる人に肖りて花を咲かせん種を播かずに
(おそざきと いわれるひとに あやかりて はなをさかせん たねをまかずに)

何事も無く無駄に齢を重ねているのだが、それは結果論であって意図あってのことではない。年齢を重ねることでわかるようになること、できるようになることは当然にあるのだが、それ以上に心身の経年劣化によってできなることがあり、プラスマイナスでは死に向かって総体に消耗してゆく。

当然、世に認められる人は若いうちに頭角を現す。しかし、稀に「遅咲き」と言われる人もいる。自分の中ではそうした「遅咲き」の人々が憧れの的であり、毎日を生きる心の支えでもある。最近までは、それが噺家の古今亭志ん生だった。志ん生は晩年こそ「昭和の名人」などと呼ばれ、国から勲章も受章しているが、そこに至るまではなかなか芽が出ない芸人だった。戦争中に慰問で満州を巡業している間に終戦を迎え、苦難の末に1947年1月に帰国。そこから人気が出始めて後に「名人」と称されるようになる。その帰国の年、57歳だった。

私はその話を心の支えに生きていたのだが、何事も無いままに57歳は過ぎ、昨年58歳も過ぎて59歳となり、今がっかりしている。そんな時、たまたま『ほぼ日刊イトイ新聞』でフランソワ・ポンポンの記事を読んだ。

ポンポンは長らく石工、彫刻の下彫職人、彫刻家の制作助手として裏方の仕事をしていたが、67歳の時に自分の彫刻作品「シロクマ」が世に認められて「彫刻家」として人生最後の10年間活躍するのである。67歳で世に認められた人がいる、と知ると、いてもたってもいられなくなり、館林までポンポンの作品を観に行ってきた。

良かった。とっても良かった。美術や芸術のことはまるでわからないのだが、良いものを見たなぁ、という胸躍る思いがした。日頃、単に好きというだけで寺社仏閣に詣でるのだが、仏像や建物、建具も同じようなものなのに心に残るものとそうでないもの、なんとなく嫌な感じのするものがある。その好悪の別に明確な基準があるわけではないのだが、好き嫌いはかなりはっきりとある。彫刻作品にしてもそれはあって、『イトイ新聞』の記事の中で言及されているブランクーシの作品は抽象の世界だが、抽象作品にありがちな嫌な感じがない。本展の作品の中では、やはり「シロクマ」後のツルツル系、写実と抽象の間を繋ぐかのような作品が良かった。

志ん生もポンポンも突然注目を集めたわけではあるまい。そこに至るまでの諸々の蓄積が何かをきっかけに開花したということなのだと思う。自分にはそういう「諸々」が無いので開花するもしないも素が無いことは重々承知している。それでも根の無い淡い期待を抱くのである。

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