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ウルトラマンを創った「特撮プール」

映像作品の制作会社は大きく二つに分かれます。東宝・東映・松竹・大映・日活の「映画会社」と、「独立プロダクション」と呼ばれる中小の会社です。数の上では圧倒的に後者が多いですね。TVの創成期には映画会社はTVをライバル視していましたが、その筆頭であった大映が子会社の大映テレビを設立、東映はNET(日本教育テレビ、後のテレビ朝日)の株主となってTVに接近していきます。フジテレビは手塚治虫氏の虫プロ、吉田竜夫氏のタツノコプロ等、漫画家が主催するアニメ制作会社や、特撮のピー・プロダクションのような個人経営の制作会社と関係を深めていきました。そして東宝は、TBSと共同出資で「円谷プロダクション」を立ち上げます。これは戦時中の国策映画(プロパガンダ映画)に関わって公職追放の憂き目にあった円谷英二特撮監督に、活動復帰の機会を与える措置でもありました。

円谷プロは人材は居ても自前の撮影機材やスタジオが無い、という状態でしたから、東宝が所有する大小二つの特撮プールの内、屋内の小プールを借り受けることになります。屋内と言っても雨風を凌ぐ為にトタンの波板で覆っただけの代物で、夏は暑く、冬は隙間風が入り、雨の日にアフレコでセリフを収録すると、雨音が酷くて共演者の声が聞こえない、という事もあったそうです。そんなスタジオですが、撮影期間が長いTVドラマでは、とにかくレンタル料を抑える必要があったのです。贅沢は言えません。

「ウルトラセブン」のメトロン星人。

昔の怪獣の写真で、背景に波板が写ったものがありますが、これがスタジオの外壁で、スポンサー企業に配る資料として休憩時間に手の空いたスタッフが着ぐるみに入り、雑誌のカメラマンがサービスで撮ってくれたのだそうです。これらの写真は、後に駄菓子屋のくじ引きの景品等として出回ります。

ウルトラヒーローが怪獣と戦う特撮ステージは、水を抜いたプールに平台(本来はセットを組む際、スタジオの床を傷つけないように敷いておく台である)を積み上げ、ベニヤ板を敷き詰めた上に土を盛って山を造ったり、ビルを並べて街を仕立てます。口絵の写真はベニヤの上に「ウルトラセブン」の関係者が並び、制作発表の記者会見を行った時のものと思われます。  「水物」と呼ばれる海や湖のシーンでは、プールの中にあるものをすべて撤去して水を貯めますが、準備が大変な為、スケジュールが詰まってくる番組後半になるとシナリオの段階で「水物はやめてくれ」と特撮班から苦情が出ることもあったようです。

「帰ってきたウルトラマン」第一話のメイキング。小プールと言ってもそれなりに広い。
そして、意外に浅い。プールとホリゾント(背景)の間にミニチュアを組んでいるのが判る。

「ウルトラマンタロウ」の最終回でプールによる撮影が行われていますが、この時は翌週から始まる「ウルトラマンレオ」第一話の撮影が遅れていた為、昼はタロウ・夜はレオとプールが二十四時間フル回転で使用されたとのことです。

プールを使うメリットとして、一段高いセットにいる怪獣を下からあおって撮影し、巨大感を演出できることが挙げられますが、スタジオの天井が低くホリゾント(背景)の上端が見切れてしまう問題が発生しました。その為、スタッフは建設中の高速道路等をカメラの手前に置き、奥行きのある画面設計を行いました。マニアの間で「円谷アングル」と呼ばれた構図は、本家の東宝怪獣と異なるTVならではの個性を産み出したのです。

「帰ってきたウルトラマン」より。ロングの画でホリゾントの上端を見せない「円谷アングル」

プールを擁する東宝の撮影所は「東京美術センター」と呼ばれ、スタッフの談話や日記の中に「美セン」という略称で登場します。1973年に「東宝ビルト」に改名され、番組のオープニングにもテロップ(字幕)で表記されるようになった為、こちらの方が人口に膾炙しているでしょう。2008年に東宝ビルトは解散、跡地は再開発されて、特撮の聖地は姿を消したのです。

さて、今回の余談ですが、私は十年以上前に地元の人に声をかけられ、ある舞台のスタッフ兼端役の登場人物として参加させて頂いたことがあります。市民会館のステージにセットを組む為、皆で一緒に平台を運んだのですが、「あぁ、俺は今、平台を運んでいるぞ!・・・」           と、密かに興奮していました(変なヤツ)。             「箱馬(はこうま)」も沢山作って沢山座りましたよ(笑)。

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