言葉の厚み

お晩です。春ですね。僕はド田舎出身なんですが、小さな学校にもどこからか変態が現れ学生たちの青春に性を添える。ホームルーム先生はこう言いました「春なんで変質者が増えます、気を付けてください」。あぁ春ですね。このような事は大人になるとすっかり無くなってしまう。

本日は変態の話ではないんですよ。純粋に下ネタからの話で高田純次さんが情熱大陸で言ったことについて書かせて頂きます。
『歳とってやっちゃいけないことは「説教」と「昔話」と「自慢話」』
まさしくそうでござーますね。素晴らしい。情熱大陸は見ないのでユーチューブで見た気がします。特にこの言葉で一番ありがたいのは人に偉そうに語ることなく「高田純次が言ってたんだけどー」で始めれるので「自慢話」的なを回避できるところですね。更に凄いのは高田純次さんはこの言葉の後に「だからおれはエロ話しかできないんだよ」と、これで説教ではなくなるのですね。
僕は今までいろいろな仕事をしてきたが、どこでもよく言われることが「お前下ネタ話してる時だけ元気だなー」です。こう言われるのには普段行われる日常会話には積極的に参加していないのが解る。だって「武勇伝」とか「最近の若いもんは」とか、そんな話面白くない。それに比べて下ネタは人それぞれの感性で己をさらけ出すので、自虐ネタでもあり、愛嬌に身を委ね、面白い。

有吉弘行さんが品川庄司の品川につけたあだ名『おしゃべりクソ野郎』。これは最高傑作だ。品川のヤンキーエピソードは基本、情景、その場にいただけの人なだけで当事者ではない。本人もそれは言っているのであるが、だとすればヤンキーエピソードを語る仕事を断ればいいだけのことである。それに比べバッドボーイズの佐田さんのエピソードには放送禁止音ピーーが入る。でしょうね。そもそも悪い人はテレビに出るわけがない。日常会話でもそうである、人に引かれるほどの犯罪話しをわざわざして自分の立場を危うくする悪人はいない。悪の当事者ではない品川は悪いグループに属していただけなのにエピソードを語る、「昔話」と「自慢話(武勇伝)」の二刀流だ。
面白くない話の例を3つあげる。
『会話の中心にいたがる人』。人の言った事に「自分もそれができるんだけど」「自分もそれを知っている」「それは違うと思う」と話しに割って入る。とにかく自分が会話のオチでないといけないのだ。
『話が大きくなる人』。「あれ、この話前にも聞いたけど数字が増えてる」「今の話は人の手柄を自分の物にしてる、だって証拠はあるもの」そういう経験はありますよね。
『話があやふや』。「あれだよあれ、あれがいけないからダメなんだよ」自分で言いたいことも自分で説明できないのでしょうか。
この面白くない話の例の共通点は過信だと思います。自分の知識量以上に自分を設定しているから起こることだと。人の話を遮るほど、話が終わるのを待っていられないのは自分が必要されてると思っているから。話が大きくなるは自分がそうあって欲しいが、そうであるに置き換わるから。話があやふやなのは人が話していたこと、実体験ではないことをうろ覚えなのに自分の話にしているから。
会話は自分の話をしなくても成立します。
相手「こないだ美味しいパン屋を見つけました」
自分『いいですね。どこにあるパン屋ですか?』
「○○駅の裏です」
『○○駅は表通りしか歩いたことなかったので気が付きませんでした。オススメしていたパンはありましたか?ちなみに好きなパンはなんですか?』
「そのお店はクロワッサンがオススメしていたので買いました。私はメロンパンが好きなのでそれも買いました」
『メロンパンもクロワッサンもどちらも美味しいですよね。雑誌かなにかで見たパン屋ですか?たまたま見つけて入ったのなら美味しくてラッキーな出会いですね』
ここに先ほどあげた面白くない話の3つの例は出てこない。話の主導権は自分だが話の決定権は相手に委ねる。会話は続くし情報が混雑することも無い。

しかしながら自分の意見を主張したいときもある。会話の答えが間違っていれば修正した方がいい時もある。相手の話でも間違っていれば修正して今後に活かして欲しい。そういった場合は3つの例にあった過信をなくせば問題無くなる。
「この話○○で見たんだけど(テレビ、ネットニュース、本など)」「この話○○から聞いたんだけ(友達、上司、ラジオ、家族、会った事無い友達の友達の話など)」「時間が経ってあまり覚えてない話なんだけど」
このように補足説明をつければ話に信憑性でるし、あやふやな情報であっても実体験じゃないので仕方がないことと受け入れてくれる。過信に溢れた会話や人の話を自分の話にする会話で一番残念なのが、せっかくの自分の実体験が薄れてしまうことだ。人から聞いた話と実体験の線引きが出来て初めて実体験になる。実体験じゃなければ補足説明を付け加える、実体験は実体験なのでどうどうと言えば良い。自分の話をしない言葉のキャッチボールにたまに実体験入れることでより際立つ。

この会話のテクニックはなかなか気づかれない。だが気づかれないことで与えれる安心感なのだ。「落ち着いてるね」「大人だね」「話しやすいね」説明できないけど好きな人、オーラをまとうことができると思ってる。

余談ですが僕の元カノで福岡県出身の方がいまして。北海道出身の僕にもいつも方言で話してくる子でした。それは可愛いのですが、、、物事を語る時、冗談を言う時、急に標準語になるんですよね。2チャンやツイッターの切り抜き集で読んだことをそのまま言うので方言じゃないのですね。それをあたかも自分発信のように言ったところでバレバレなんですよ。例えばですけど、いつも調味料ドバドバ馬鹿舌なのに「いやーこの歳になるとカップラーメンは線より下にお湯入れるの卒業したわー」とか。とか。

バカだったなーあいつ。


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