死ぬことに挫折した

この文章は昨年末辺りに同人誌の形で出す予定だったものなんですが、色々あって今になってここに置いていきます。同人誌内にあるお題に沿った文章であったため、そこら辺の意味が通じにくいところや、何となく気に入らない表現を一部手直ししたものです。

ずっと死にたいなと感じながらぼんやり生活していた。その感情はずっと根深く自分にまとわりついているものであった。その感情を抱く原因は劣等感や無力感、先行きへの不安などが折り重なった強固な自己嫌悪であった。その自己嫌悪が自分が存在することへの怒りとして発現し、それがやがて死にたさという感情を形作ることになった。
この死にたさは、いつからか私の中で重く存在するようになっていた。いつでも死にたくて仕方ないし、この自分が世界に存在することに延々と怒り続けていた。この私という人間がいなければ、世界はより良いものであっただろうし、周囲の人間も私が存在することで被害を受けていると感じていた。
こうした思考は現実逃避の手段として随分と便利だった。「死ねばいい」や「死んでもいい」と思うことは、その時直面している問題の解決を諦める言い訳になる。こうした状態で私は何もかもを思考停止で乗り切れた。しかし、それは自分の人生に借金をしているようなものでしかなく、そのツケを払わざるを得なくなる時は必ずやってくる。

二〇二二年一月二三日、一件のショートメッセージが来た。内容は家賃滞納によるアパートの退去通知。色々なことが重なって、気付けば追い出されることになった。自分の人生はこういう風に「色々なことが重なって」失敗することが多いように思える。それは前述した「死ねばいい」による思考停止のたまものである。
その時、私はサークルの練習中で、ちょっとした休憩時間。何気なくスマホをいじっていた時にこの通知を見て思わず声を漏らしてしまった。「あ、家無くした」そこから先はあんまり覚えていない。ただ、落ちるところまで落ち切ってしまったように思い自暴自棄になりかけたことと、その後に本当に心配そうに悲しそうにしている周りの友人、後輩たちの顔を見て情けなくなったこと、その時に「ああ、死ねないな」と思ったことは覚えている。
その後も、自分の状況を色んな友人が心配してくれた。その時、自分が存在することは周囲の人間にとって悪いことではないのかもしれないと思えた。

自分の先行きが真っ暗になって、私はようやく死にたいという気持ちを持ちたくないと思えた。それは、自分が不幸になると悲しいという人たちの存在を明確に意識した瞬間だった。自分のためではなく、自分を心配してくれる人たちのために不幸にならないという目標ができた。
恥ずかしい話だが、私はこのときになってようやく自分が嫌いな自分のことを好きでいてくれる人がいるということを自覚した。自分が他者から愛されていることを自覚することで自分の人生に責任感を持たねばと感じたのだ。
この時に私は自分の持つ死にたさを解消する取っ掛かりを得た。しかし、この死にたさを捨てきることができたのはもう少し時間が経ってからだった。

二〇二二年二月一五日。アパートの鍵を管理会社の方に渡して私はホームレスになった。ネットカフェや友人宅を転々とする日々が始まった。
この時の私は正直に言えば死ねば楽になるという感情を持っていた。しかし、その感情とは相反するように死んではいけないという理性もあった。この二つの感覚に挟まれながら、恐らく私は自分の人生の中で最も苦しみ最も努力していた。
そうした日々を過ごす内に、「死にたさ」と「死んではならない」とは別にもう一つ「死ぬかもしれない」という恐怖が精神を覆うようになっていった。
この放浪期間、私は日雇いで日銭を稼ぎながら貯蓄をしてアパート入居の資金を貯めていた。日雇いの仕事というのは随分と苦しいものが多い。単純な肉体的な苦しみに加えて、自分の無力さを実感する苦しみというものもある。もともと私は要領が随分悪く、仕事先で社員に詰られることが多かった。そうして疲れた末に、ネットカフェの狭い個室で寝る日々は死の気配を今まで以上に一層近くに感じた。心臓がずきずきと痛み、起き上がれない日もしばしばあった。
明日、自分は死ぬかもしれないと思う日々が続く。それでも明日も仕事をしなければと考えているうちに段々とあることに気づき始めた。「明日死ぬかもしれない」と昨日思っていたのに今日も自分は死んでいない。人間は意外と死にきれない。「死ぬかもしれない」と死の間には大きな溝があった(これは自分が非常に幸運なだけかもしれないが)。衰弱死するには、周囲の友人たちが優しくそれとなく食事や居場所を与えてくれる。自殺するにも、恐怖と自分を機にかけてくれる人たちのことがありできそうにない。
このとき、私は死にたさを諦めた。経済的に精神的に肉体的に、これまでの人生のいつと比較しても苦しいのに死んでいない。死のうとできない。死んでしまう弱さも、死ぬことができる勇気もない。そんな自分には到底死ぬことなんてできない。生きざるを得ない。
そう気づけたとき、ようやく私は生きようと思えた。消極的な命への向き合い方かもしれないが、死を挫折したことで、私はようやく生きることに前向きになった。

二〇二二年四月一一日、私は新居に入居した。今まで住んだどこよりも脆く家賃が安い部屋。アパートの階段を駆け上がり、不動産屋でもらった鍵を差し込み開けたドアからは空き家の不思議な匂いがした。ベランダの窓を開けると猫が昼寝をしている様子が見えた。どこからか、小学生の遊ぶ声が聞こえる。命の気配に溢れている。ひんやりとした床に寝っ転がりながら、私は自分が生きている喜びを嚙み締めた。

そして、入居から半年以上が経ち私は今この部屋で、この原稿を書いている。今でも捨てたはずの死にたさは時々私のもとに訪れる。それでも、私はその死にたさをまた捨てることができるようになっている。本当は完全にそんなことできていないかもしれないけれど、はっきり「死ねない」と言えるようにはなった。
私に死んでほしくないと思ってくれる人がいて、私は死にきる勇気も弱さもない。それが嬉しい。今も苦しいことや悲しいことは山ほどあるが、ひとまず生きることはできる。たまらなく嬉しい。

以上です。いかがでしょうか?
私の恥ずかしい失敗を晒しただけな気もします。それでも、この文章で私が感謝をしたい人たち、今まで関わってきた人たちへの気持ちを表現できていたらと思います。私を生かしてくれてありがとうございます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。苦しいことや悲しいこと、死にたいことはこれからもあるでしょうがぼちぼち生きていきます。ぼちぼち生きていきましょう。オーケー余裕、未来は俺等の手の中。

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