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精神の汚部屋 雑記2024-01-30

三月のパンタシアで『薄明』。
三月のパンタシア、三パシがずっと好きだ。みあさんの歌声と、その歌声のために作られる音楽や物語性が好き。青春やそれに付随する痛々しさも全部ひっくるめて透き通る音楽にしているのがなんか良いな~と思う。
この曲は、ポエトリーリーディングなのかな?そういう形式が用いられていて聴いたとき驚いて笑ってしまった。
恋すること、生きること、今という時間、そういうものに対して切実に必死にもがいている雰囲気の瑞々しさにずっと良さを感じる。
もっと伸びてて然るべき歌手、プロジェクトだと思うから皆さん是非…

前に似たようなこと書いたことあるかもしれないけれど、自分の感情や記憶の在り方って固形じゃなくて液体だなと思う。みんなそうなのかもしれないけれど、今回は自分が特別そういう傾向がある体で話す。
ある事象、そのものに対して直接的に快・不快、喜怒哀楽を覚えづらい。「俺って感情無いから」みたいなこと言いたいわけではない。あー、自分でも上手く言語化しきれていないけれど、物事へのリアクションとして生まれた感情を直ちに知覚することが苦手で、その生まれた一つ一つの感情を胸の内で何度も噛み締めて、飲み込んでからようやく感情として感じることができるみたいな言い方? そういうものがある。
良い作品や悲しい出来事に触れた時、そこから生まれる感動や怒りを自覚するまでに時間がかかると言うか、それらの感情が塊として訪れた後、全部が一旦同じ場所に片付けられて、ぐちゃぐちゃになった後に一つ一つをそこから探していると言うか。こういう言い方すると、感情が片付けられない部屋の中にあるみたいかもしれない。いざ外に出そうとすると、どこにあるか分からないみたいな? でも、そっちの方が正しいかもしれない。現実、自分は実際の片付けも苦手だし。
そう考えると、こうして感情を文章にする作業は精神の整理整頓だなと気づく。感情の汚部屋にあるものを埋もれている場所から引っ張り出す。その作業の過程では、探しているものがどこにあるか分からず、表層にある感情を参考に何となくこの下にありそうだと探す。だから、今みたいに整理しながら書いていると、冒頭の一文からどんどん話が外れていく。ただ、これは言いたいことが変わったわけではない。言いたいことが最初に探した場所になかっただけだ。そういう作業を繰り返して、今こうして探していた感情を見つけ出した気持ちになる。でも、これって実際の部屋と違って、見つけたものが本当に探していたものなのかはっきりと確信が持てない。それがスリリングだけれど面白いし、不気味。
だから、自分の感情をスッと言葉にして引き出せる人って凄いなぁと思う。多分、精神が綺麗に整頓されているんじゃないか。まあ、汚部屋の中からもの見つけるのが上手い人って可能性もあるけれど、それは訓練によって身に着けるものか。
だいぶ、何言っているか分からなくなった。言いたいことを探しているうちに目についたものが面白く映ってきてしまった。部屋の掃除してる時に見つけた関係ないものって一番面白いから仕方ない。

文フリ用の原稿を書き進めているんだけれど、そこでなんだか「先輩と後輩」って関係って不思議だなと思った。この出会い方ってその先もずっと関係を固定させ続ける。どれだけ仲良くなっても、その関係の呼称が友人になることは少ない。ずっと「先輩と後輩」だ。まあ、たまに変な仲良くなり方して恋人なんていうものになる例もあるけれど、そんなのはどうでもいい。ここでは恋愛じゃない愛の話をしている。
最初は同級生だった二人の関係が友人になるなんてことは普通だけれど、それが先輩・後輩間では起きづらい気がする。
これって、関係が出会った瞬間に非対称なパワーバランスで決定されることが難しくしてるのかな。友人関係って、まあ客観的にはずれがあってもお互いに相手を対等に扱う意識が必要かなって気がしていて、それが生まれづらいのが先輩・後輩なのかもしれない。
そういう話をまとめて本に載せようと思っている。もっとお前と友達になりたいって話。難しいし、片思いなんてこともよくある話だけれどね。

最近、書く話がまとまりきらない。そういう時期。そう思う。
最後に三月のパンタシアで『ピンクレモネード』。甘~い恋の曲。恋愛をすることは苦手だけれど、恋愛自体は好きだ。だからこういう曲を聴いて良いなぁ…と幸せな気持ちになる。そういうのが良いんです。

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