見出し画像

国際女性デーに思う、ジェンダーギャップ指数120位に暮らしている私たち

3月8日は国際女性デー。
今年はこれまでの中でいちばん盛り上がっている気もしたけれど、きっと、まだまだ一部の"意識高い層”だけのことなんだろうな。

国際女性デーなんだから、総理大臣には、ミモザにちなんだ黄色のシャツでも着て、「ジェンダーギャップ指数120位の日本の現状の打破を誓う」くらいの発言をして欲しいものだと個人的には思う。

とはいえ、ここ最近は私自身、あまり女性差別について考えていなかった。会社もD&Iが進んだ外資系企業に勤めているし、コロナで人と会うことも減ったので、あからさまな女性差別を感じる体験は減っていた。

そんな私が、先日、自分の中に知らず知らずのうちに巣食っていた「ジェンダーの呪い」を発見してしまった。ジェンダーギャップ指数120位は伊達じゃない。この日本にはたしかに、まだまだ多くの女性差別が残っている。気づかないふりをしているうちに、そもそも差別だと気づくこともできなくなってきていたのだとしたら問題だ。そのことについて書いておく。

男性はリーダー、女性はサポーターという呪い

男性に比べて女性の方が細かいことに気づいたり、周囲に気を遣ったりするのが上手だ、というイメージはないだろうか。
社長や役員付の秘書のほとんどが女性だということを私たちは自然に受け止めている。もちろん、それ自体が差別という気はなくて、秘書として必要な資質に優れた人がたまたま女性に多かったというだけかもしれない。

それ自体は良い。

でも、それがいつのまにか、女性にはサポーターが合っている。なんでも気を利かせてリーダーを支援できるのがデキる女性だ、というイメージに繋がっていないだろうか。

私の周囲にいた女性の先輩社員にも、そういうタイプが多かった。だから、なんとなく女性のロールモデルとして刷り込まれていたように思う。

先日、コーチングセッションを受けていた時に指摘された。
「あなたは、アシスタントなんですか?つまり、その方とあなたとは、上下関係ですか?」
「いえ、ビジネスパートナーです。横の関係です。」
「でも、あなたの話を聞いていると、まるで秘書かアシスタントのように聞こえますよ。」

この指摘があまりにも衝撃で、私はしばらく黙ってしまった。
コーチはこう続けた。
「以前、あなたの強みをお話してくれましたよね。それをもう一度お話してくれますか?」

私の強み。それは、リーダーシップだった。そして、失敗を恐れずに、自分の意見を表明できることだった。これまでのキャリアでも、リーダーシップを発揮した時に仕事でよい結果が残せていた。

「Be You。自分でいること。自分を出すことから心がけてみたらどうですか?」
とのコーチのアドバイス。確かに、自分らしさが出せていなかった、まったく。知らず知らずのうちに、自分を一段下げて、アシスタント的アプローチをしようとしていたんだと気づいた。
そして、私には、優秀な秘書になれるような資質は全然ないのに。
自分の強みにフォーカスした働き方を目指していたはずなのに、なぜ、自分には合っていないスタイルを取ろうとしていたのか。そこには、長年この国で蓄積されきたジェンダーの呪いがあったように思う。

男性をどう巻き込んでいくか

女性活躍に関して、母親アップデートコミュニティ(HUC)内でもイベントがあり、その時に結構話題になったのが「男性をどう巻き込んでいくか」という点。
日本の社会は、男性側に有利なようにつくられている。つまり、男性は下駄を履いているのに、それに気づかない人が多いよね、という声が多かった。
女性活躍、というと、女性にだけ下駄を履かせて不公平だ、逆差別だ、という声があがるが、私は、まずは、あなたたちが履いてる下駄を脱いでください、ということだと思っている。
マジョリティはマイノリティの存在に気づくのは難しい。
私が良いなと思ったのは、男性にも、自分がマイノリティである場を体験すると実感としてわかる、というもの。
たとえば、子供の1歳児健診などに行ったら、父親で来ているのは自分一人で、医者も「お母さん」とみんなに呼びかけるし、疎外感を感じた、という体験談を読んだ。でも、まさにこれが男性だらけの職場で働いている女性の気持ちなんだよ、と言いたい。
営業の決起集会などで、営業リーダーが「女性をデートに誘う」ことを客から受注する例えで使ったりする。そういうことは日常茶飯事。
会社のイベントでも、日本人が誰もいないアメリカの田舎町で、人種差別にあったことでD&Iの大事さがよくわかった、という方の話もあった。

一方、違和感があったのは、「男性の気持ちに寄り添い」、「男性に悪気はないので」という擁護の意見。私も対立を煽りたいわけではないけれど、そうやって女性が優しく、差別されてるのに、差別者を慮って、波風立てないよう最大限気を遣ってきたからこそ、各国で女性の地位が回復してきたこの10年、20年、日本だけ停滞しているのではないかと思う。

さらに、「これまでの社会をつくってきたのは男性なのだから」という理由をつけるのは私は危険だと思う。まさに、黒人差別をする白人が、ここまでの世界や芸術を築いてきたのは自分たち、という意識が根底にあるからだ。
今の社会をつくってきたのは男性なのは事実だけれど、それは環境が、そうしただけで、男性が偉かったからではない。白人が裕福だったのは、環境がそうだったからで、白人が優れているからではない。人間は誰もが等しく尊い存在で、人権が踏みにじられたり、差別されない権利は、すべての人間が持っているべきもの。それが侵害されているのだとしたら、それは正当な権利として声をあげるべきで、差別している人には、それを認識させ、改めさせる必要と責任があると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?