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沈みたい夜に、物件サイトで夢をみた

むかしから、物件情報を眺めるのがすきだった。自分に手が届きそうな賃貸マンションやアパートをチェックすることもあれば、理想をつめ込んだ憧れの物件を探すこともある。目がまんまるになるほどの豪邸を見て、どこのセレブが住むのだろうと想像するのも楽しかった。

ただ、物件情報をひととおり眺めたあと、満足して「あぁ楽しかった」とカラリと言えないときもあった。どろりとした気持ちですがるように物件サイトを見ていた、そんな時期のことを書く。

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いま思い返しても、二度と帰りたくない家がある。その家はとても広く、側から見たら豪華であったかもしれない。いい思い出もたしかにある。けれど「あの家」を想像したときに出てくるのは、怒る祖父、押し黙る母、部屋に閉じこもるわたし。メインでドババとあふれてくるのは、クッと息がつまる記憶だ。きれいなベールで包んでなかったことにしたい、けれどどうしても透けて見えてしまう、うれしくはない記憶。

このままベッドにずぶずぶ沈んで、存在ごと消えちゃえばいいのにな。

あの時期、部屋のベッドで毎晩のように願っていた。わたしがしんだら悲しむだろうな、苦しむだろうな、めんどうだろうな。わたしのことをわかったように、あれこれ言われるのもいやだな。記憶ごと、記録ごと、なかったことになっちゃえばいいのにな。そう思っていた。

けれどわたしの体はベッドの上にガッチリと存在していて、いくら沈め沈めと願ったところで、マットレスのやわらかさが背中の下にあるだけ。願いは叶わず、そこにいるしかないのだった。

そんなわたしを、少しだけ明るい気持ちにしてくれたものが物件サイトだった。さまざまなサイトにアクセスして、さまざまな物件を見た。いまのわたしではない、困難なんてカケラもない喜びに満ちたわたしが住む家。それを探している間は、心がやんわりと守られた。これからのわたしの人生に、ささやかな期待が持てた。

住むなら、やっぱり友達がいるここら辺がいいかな。ああでも、海のそばで暮らしてみるのもいいかも。バスとトイレは別がいいかな。畳よりは、フローリングかな。ええ、管理費なんてあるんだ、家賃だけじゃないんだ。部屋がひとつは、1DK。え、1Kもあるんだ。Dってなんだ? Kってなんだ? ダイニング、キッチン、リビング。Lがついているのは家賃がちょっと高い。1LDK、わんえるでぃーけー。うん、覚えた覚えた。

場所で絞り込みをして、家賃で絞り込みをして、こだわり条件で絞り込みをして。たくさんの物件情報を見た。見れば見るほど、気持ちが強くなる気がした。物件はこんなにたくさんあるんだから、気持ちがヒリヒリしない、わたしをちゃんと包んでくれる家だって絶対にあると思えた。

きれいに住むんだ。汚くしないんだ。台所もお風呂も、ちゃんと掃除して大切に住むんだ。きれいにしても、きれいにしても、いつのまにか元通りの家にはしないんだ。虫のいない家にするんだ。怒る声が聞こえない、悲しむ声も聞こえない、ただただ安心して暮らせる家にするんだ。

わたしの「家」に、ちゃんと住むんだ。

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すべての人にとって、「家」が安心できる場所ではないのだと知っている。「家」があるからこそ、苦しんでいる人がいるのも知っている。

けれど、自分を守ってくれる家がこの世界のどこかにあるんじゃないかと。自分にぴったりの家と出会える日が、いつかくるんじゃないかと。

そう期待することで、溺れてしまいそうな夜をどうにかこえられることもあるのだと。
それも、わたしは知っているのだ。

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こんにちは。ベットの上で「沈め沈め」と願い続けている、過去のわたしへ。手紙を書きます。

今夜も苦しいですか。みんなきえろと思っていますか。そうじゃなけりゃあ、自分がきえろと思っていますか。ここからではどうにも助けられないけれど、それでもどうにか生きて、ここまできてほしいです。ここにはきれいなお風呂があります。きれいなキッチンがあります。自分が選んだお気に入りの家具にかこまれて、すきな人たちと暮らしています。万全な対策をしているので、まだあの虫も見ていません。

あのときあなたが願ったのは、みんな怒らず、泣かず、楽しく暮らすことでしたね。それが叶っている家ですよ。この家がすきだと、胸をはって言えますよ。豪邸ではないですけどね。プールもないし、海のそばでもないし、お庭もないし、屋上もない。けれど、手が届く範囲にしあわせがあります。たまに喧嘩もするけれど、だいたい笑顔で過ごしています。

いい「家」だと思います。
わたしの「家」だと、ちゃんと言えます。

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わたしはフリーのライターとして、物件紹介の記事を書くことがある。「かわいい!」「きれい!」「豪華!」「クール!」「おしゃれ!」。基本的には単純な気持ちで、ただただ物件を愛でている。けれど、心のずっと深い場所、えいしょよいしょと掘り進めないと辿り着けない場所で、こっそりこうも願っている。

どうか、これを読んでくれている人たちが、安心して日々を過ごしていますように。朝起きて、夜眠る。そんな当たり前のことを、自分の家で、ちゃんとできていますように。

もしも「家」を自分をとらえる檻のように感じている人がいたら、どうかこの先の未来で、あなたを守ってくれる「家」との出会いがありますように。おだやかに食事をして、趣味の時間を作り、お風呂に入り、睡眠をとる。そんなふつうのことを、ふつうにできる「あなたの家」がどうか見つかりますように。

だいじょうぶ、とは言えない。けれどこの先、だいじょうぶになるかもしれない。「ああ、この家が、わたしを守ってくれるんだな」と思える日が、いつかくるかもしれない。そのかすかな希望で、わたしは何度も夜をこえた。そうしろとは言わない。ただ願う。心に寄り添う家との出会いが、どうかどうか、あなたにも。

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