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諸国漫遊記 #05 山形県

土地の思い出、人の思い出


山形県を初めて訪ねたのは、1990(平成2)年の夏でした。
例によって会社の野球部の東北遠征で訪れたのが最初です。
その後、40代半ばで転職し、全国規模の会社のため様々な人との接点が増えましたが、上司となった方が山形県の方で、その方と出会ったのが、2011(平成23)年の4月でした。
その後もその方とのお付き合いは続いており、山形県と私の関係性は、土地の思い出だけではなく人との思い出と複層的になっています。

山形駅の山形新幹線

東北随一の暑さ


1990(平成2)年8月下旬、訪れた山形県は空港の出口を出た途端、息もできないほどの暑さを感じ、とても日中、屋外で野球をやるなどと思えない気候でした。
この記事シリーズの#01〜04でご紹介した東北各県随一の暑さであったことは言うまでもありません。
現在の酷暑レベルではないものの、北海道の8月下旬はお盆が過ぎ、とうに秋風がたち、地域によっては朝晩ストーブで暖を取り始めるところもある時期です。
そこにきて30度を超える気温と湿度は20代の若者集団でも対応できない暑さでした。
この時ほど控え選手で試合に出なくて良いことをありがたいと感じたことはありませんでした。

冷やしラーメン
冷やし床屋

ファーストキッチン


暑さの中、練習を終えて、バスでホテルに戻る際に車窓からホテルの近くにファーストキッチンの看板が見えました。
当時、インターネットはまだなく情報の入手手段としてはテレビや雑誌に限られていましたが、年中朝練、仕事、夜練、試合の毎日でテレビを見る暇もなく、情報源は、学生の頃から読んでいたPOPEYEホットドック・プレス、社会人になって読み始めたDIMEが主なトレンド情報の入手源でした。
いずれも創刊号から読んでいましたが、POPEYEは新しい商品やトレンドをホットドック・プレスは女性との関係構築を主体としたハウツーに力点を置いた記事が多かった記憶があります。
そのPOPEYEによく登場したのがファーストキッチンのハンバーガーでした。
マクドナルドよりも高級感を感じ、また北海道に店舗は当時なかったため、都会感を強く感じていた記憶があります。
翌日の試合が、午後3時から開始で、ホテル出発が正午と連絡があり、昼食を控えて、ファーストキッチンでハンバーガーをテイクアウトして、ホテルの部屋に戻って食べようと計画し、実行しました。
雑誌で見た店内風景、店員さんのファッションを見ながらワクワクしてホテルに戻りましたが、店への往復の暑さでへとへと、ハンバーガーは頑張って食べ切った記憶だけで味の記憶がありません。
今回この記事を書くにあたり、訪ねたファーストキッチン山形店の現在の状況を調べましたが、山形市内には現在、お店はない模様であることがわかりました。
情報は熱かった、だけどもっと山形は暑かった。

昔のファーストキッチンのロゴ

人との出会い


それから20年以上経過して上司に山形の方が着任されました。
東日本大震災被災直後の4月に山形県から北海道へ転勤されたのですが、混乱の中、引っ越し手配もままならず、加えて初めての北海道生活ということで大変な思いをされて赴任されたことを覚えています。
引っ越しの際に「必要な時にポリタンクで何回か往復すれば暖は取れるだろう。」とおっしゃってポータブルストーブで3LDKのマンションをカバーしようとされるので「無理です。キッチンと浴室の水道が凍結します。またポリタンク一つは1日持たずに使い果たします。煙突をつなぎ、外部の灯油タンクに接続できる大きなストーブを買ってください。」と必死にお願いするも知らない人を説得するのはなかなか大変でした。その後、他の方のお話も聞かれたようでストーブを中古で購入され、一冬が過ぎた時には感謝されましたが。

北海道の一般的な灯油タンク(490リットル)


その方は、褒めて伸ばすタイプの上司で、転職組である自分に対しても良いことは良い、悪いことは悪いをはっきり伝えてくれて、ことあるごとに褒めていただきました。
褒める時はたくさんの人の前でとか第三者に伝えて口コミで回ってくるように、叱る時は個別に他者に見えないようにというルールがよく知られていますが、徹底して感情に流されることなく実践されていたことが強く印象に残っています。
褒められたこと叱られたこと、それらを糧に前進することができたと実感しています。
直接の上司部下関係は2年足らずでしたが、現在まで15年近くお付き合いいただいており、途中、定年退職されましたが変わらぬおつきあいに感謝している私の人生の恩師のお一人です。

山形市郷土館

ホーム&アウェイ


その方はアウェーで仕事をしながら、自分が赴任している北海道を愛し、ことあるごとに良い点、例えばあそこの景色はすばらしい、あの食べ物はおいしいとホームの自分たちが気が付かないこと、当たり前と思っていることの素晴らしさを伝えてくれ、こちらは地元を褒められることで嬉しくなり、こちらから新しい情報提供したりと共有する部分を広げてくれる手本を見せてくれました。
これはその後、私が初めて大阪に転勤になった際のホームの皆さんとの関係構築にとても参考になった教えでした。
誰しもホームを褒められて嫌な人はおらず、またアウェーゆえに見えることを伝えることでホームの人の気づきとなること、これはとても良い交流を生んでくれました。

そば三津屋 http://www.soba328.com



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