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諸国漫遊記 #04 宮城県

札幌、東京、仙台

北海道の片田舎で高校卒業まで過ごした自分にとって都会との出会いの最初は札幌だった。
地下鉄というバス以外の交通インフラがあり、地下街があり、5階以上のビルが沢山あるというのが当時の自分の都会の定義だったと思う。
高校卒業後、予備校に通うために札幌に出て都会を感じ、次に都会と触れたのは社会人になって東京へ出張するようになった時であった。
東京は都会のレベルをはるかに超越した大都会だった。
次に都会を感じた場所、それが宮城県仙台市だった。

仙台七夕

仙台の第一印象

仙台を訪れる前の自分の印象は、さとう宗幸氏の代表作「青葉城恋歌」の緑溢れる街、伊達政宗の城下町と都会のイメージはなく自然と歴史に溢れている街という印象であった。
例によって会社の野球部の試合参加のために仙台空港に降り立ち、電車で仙台駅に向かう車窓は一面の水田が広がり、当時の日本のブランド米であるササニシキの一大産地としての片鱗を感じる風景であった。
列車が仙台駅に到着し、宿舎へ向かうバスに乗り換えのため改札を出てさらに駅舎をでて、驚いた。
出口の外には空中回廊が広がり周囲のビルと重なる風景は都会そのもので流石、東北最大の都市だとさきほどの農村意識は吹き飛び、その後のバスからの車窓も都会基準で眺めた記憶があります。

仙台駅

宮城県との関係性

大学に入学する際に住まいを学生課の紹介で探していた時に、ちょうど下宿を始める物件があると聞き、学校からも徒歩5分くらいでもちろん新築、何より野球部に入ろうと思っていた自分には朝夕の食事が確保される下宿は最善の選択肢であった。
3月下旬に入居したが、向かいの部屋の住人が、宮城県出身で、硬式テニス部に入部予定(入学後、入部し、卒業時には主将つとめていた。)の人だった。
下宿の話はあとで別の機会に書かせてもらいたいと思いますが、彼がとても人格者で、いつも助けてくれ、助けてと本当に良い関係を築くことができ、40年近く経った今もおつきあいいただいている。
さらに不思議な縁なのだが、この下宿のオーナーだった女性が、数年雨にリタイアして、札幌を引き払い、息子のいる仙台に移住することとなった。
息子が仙台にいることもそうだが、その話を聞きつけて当時の下宿人が仙台に集まって、オーナーの再出発を祝うとともに当時の感謝を伝える会を開き皆が一堂に会することとなった。これもまた不思議な縁、仙台が引き寄せた出来事だと自分は思っています。


ありし日の下宿

宮城県のグルメ


宮城県の食べ物の思い出は、肉類が豊富というのが第一印象です。
今でこそあちこちで○○牛とか▲▲ビーフが日本各地で推されていますが初めて宮城県を訪ねた頃は、東北地方で肉を前面に推していたのは宮城県が唯一であり先駆者であったと思います。
牛タンをはじめとした肉類、当時まだ若かった自分には、本州を感じる場所でした。
北海道は、肉といえば豚肉が主流で、牛肉は高嶺の花、ハレの日のたべものだったので本州にいるということを感じさせてくれる食べ物です。
北海道人が本州を感じるもの(自分調)は、瓦屋根、牛肉(特に肉じゃがが牛肉だった時)、缶コーラが細い250mlの時でした。
もう一品は、ずんだを外すことはできないでしょう。
前回、岩手県の時にも甘くない饅頭のお話を書きましたが、ずんだのファーストコンタクトの時に感じたのも「甘くない」!
甘くないわけではないのですが想定している甘さの水準ではないことに驚きました。
今では色々な商品にコラボされていますが、仙台駅の中のお店のあんみつは味のバランスが絶妙でいい年した親父が場違い感満載でも食べたくなる一品でした。

仙台駅の駅弁は充実のラインナップ


ずんだクリーム白玉


缶コーラのサイズバリエーション

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