見出し画像

自然は感覚で生きている

 最近観たドキュメンタリー映画「杜人」。1年程前に、アップリンク京都にポスターが貼ってあり、「ナウシカのような人に出逢った」というキャッチフレーズが気になり、ずっと観たいと思っていて、環境再生医(人間が壊してしまった大地を再生する人)の矢野さんを追った映画です。印象に残ったことをいくつか。
 まず、矢野さんの生い立ちの中で、「学校で学ぶ授業は時間がかかっていた。それはやっぱり植物園での作業が体に馴染ませるようにやっていく作業だったから・・・」と幼少の頃から父の植物園を手伝っていた矢野さんの言葉です。今の学校の問題点は、ここなんじゃないかなと思いました。学校での授業は、頭の中や机の上で考えることが中心で、実体験が伴わないことばかりです。それに、教科という名で、本来なら繋がっていることをバラバラに学ぶ仕組みになっています。体験を通したホリスティックに学びにしていくにはどうすればいいのかなと色々と考えさせられました。
 また、「人間が作ったダムや堰堤、U字溝、アスファルト舗装などが、自然の空気と水の循環を止めてしまっている。土砂崩れは大地の深呼吸」というのが矢野さんの理論です。実際に、風の流れや水の流れを復活させると、大地は呼吸を始めて蘇っていきます。自分の暮らしの周りにもコンクリートはたくさんあって、私の家の周りも昔は土だったし、川も見えるものだったけれど、今はアスファルトになり、川も暗渠になってしまっています。そういえば、近くの田んぼ道も昔は舗装されていなかったのに、利便性のためにコンクリートやU字溝で固められてしまって、去年は土砂崩れで水路が埋まってしまい、それも呼吸を止められてしまったからなのかなぁーと思いました。近くの山も鉱山として石灰岩が採掘され、美しかった山も今は昔の面影がないほどに変わってしまって・・・。人間の利便性を優先するために山を削って、大地を破壊していく。大好きな山がどんどん削られていく姿を見るのは本当に辛いです。田んぼ道も、私は昔の草と土の道が好きでした。なんというか、自然のままの方が美しいと思うのです。そして、生き物にとってはもちろん、人間にとっても最終的にはその方が生きやすいのではないでしょうか。
 そして、一番心に残ったのは、「とにかく僕らの頭は、この社会の中で画一的に、道はまっすぐでなくてはいけないとか、勾配がちゃんと取れていないといけないとか頭で考えていることがすごく多い。でも、自然界はそんなに人が考えているほとこだわっていない。自由自在にプラスに向かっての機能変更ができるような合理性を持っている。」と話されていたところです。同じようなことを養老孟司さんも言っておられました。この自然の絶妙なバランス感覚。本来は人間にも備わっていた能力なのかもしれません。言葉では表せないもの、目には見えにくいものではあるけれども、私自身も大切にしていけたらいいなと思いました。

 この映画を観て、私がやりたいことは、自然の中で、自然から学ぶ学校のようなものなのかなと思いました。美しい自然の中で、自然と共に生き、自然を大切にしながら、自分のやりたいことを思いっきりできる。そんな学び舎ができたらいいなと思いました。そんな私の思いとは反対に、子どもたちはすでに今日を目一杯感覚で生きいるのかな。それを引き出すことができれば最高です!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?