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多様性ってなにさ


つい何年か前までは
人との距離感が全体的に遠かったから
誰かに興味もなかったし、どうでもよかったし
いちいち人の行動や思想にあれこれ持論を述べたり
アドバイスを求められても
本人が考えてだした答えがすべてなんだから
勝手にしてくれやっていう感じだった 

それが[多様性]を認めるということだと思っていたから。 

人の価値観や考え方ってのは様々で
いろんな人がいるのは当たり前で
それを知る必要もなければ理解する必要もなくて
人は人自分は自分で線を引いて遮断させる事で
他人を尊重していると勘違いしていた 

ココ最近人との距離が少し近くなる機会が
立て続けにあったときに 

私が今まで自分の中で[多様性]という言葉で片付けてきた人や関係や物事ってのは
ただの無関心と諦めでしかなかった事に気づいた。 

理解しようとする姿勢
わかりあう努力、思いやる気持ちとかが鬱陶しくて
みんな違くて当たり前なんだからそれでいいじゃんつって
人との関係を築くうえでの大事な行動を
多様性という言葉でないがしろにしてきた結果
いざ別の価値観を持ち合わせいる人間と
一緒に行動しなきゃいけない状況に陥った時に
多様性を十分理解できていて相手を尊重できているはずの私は
疲労困憊してしまった。
人ってめんどくせええええ!!!!
思い通りにいかねええええ!!!!ってな感じに。 

私の表向き[多様性]と言いはったものの中身は
蓋を開けたらこんな本音でしかなかった。 

「どーせ理解できない。理解したくない。
あなたにわかってたまるもんか。
あなたにわかるわけないじゃんか。
はい終了。どーでもいいんであとは各々自由にどーぞー!」 

自分でもがっかりするほど弱点を正当化していた。
ほんと私ってズルい思考の持ち主。 

なんとなくわかったのは
別に相手の事を受け入れる必要もないし
自分を受け入れてもらう事が目的じゃない。
相手のすべてと自分のすべてを認めあって共鳴なんてしなくたっていい。 

ただ、お互いの考えを共有しあう段階をふまえてから
あなたはこう。わたしはこう。
共感できる部分もあるし
できない部分もよくわかった。 

そこから初めて多様性という言葉が用いられて
相手を尊重するという行動に繋がるんじゃないかと思う。 

簡単な事じゃないし葛藤もあるかもしれないけど
最低限これは大事だよね。 

なんでもかんでも都合の良い言葉で言い逃れしてたら
シワよせ半端じゃないし考える事を怠ると
人生スッカスカになるんだなと感じた31歳の冬

#コラム  #日記 #多様性 #人間関係 


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