「私刑」を是とする人々へ

今回は昨今のニュースに対して世論が簡単に私刑へと発展してしまう現状について、今わたしが感じている事を書きました。
長文ですが読んでいただければ嬉しいです。

昨今、度々目にするようになった「私刑」という言葉。
なぜ目にする機会が増えたのか。
それは間違いなくインターネットの普及により、個人の意見を発信しやすくなったことからそれを是とし加担する人々が目に見えて増加したからでしょう。
なぜこれ程までに人々は私刑を行う事に躊躇しないのか?
きっとその理由付けとして「正義があるから」だと答える人も多いでしょう。

しかし、わたしはこの言葉に強い違和感を覚えます。
そもそも正義とはいったいなんなのでしょうか?

正義と私刑の定義

「正義」とは
・正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。
・正しい意義または注解。
・justice
㋐社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。
㋑社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。
※広辞苑より一部抜粋引用

より公平性を保つため、他の辞書においてもどう定義されているのかを抜粋し文末に添付しておきます。
結論だけ申し上げますと、どの辞書においても大きな相違はなく、わたしが認知している以外の意味などはありませんでした。

そしてもう一つ整理しておきたいのは「私刑」の意味についてです。

「私刑」とは
法によらず私人が勝手に加える制裁。私的制裁。リンチ(lynch)。
ちなみにリンチとは「法的手続きを経ないで暴力的制裁を加えること。私刑。」とされています。

前置きが長くなってしまいましたが二つの言葉の意味を並べてみてもわかるように本来なら正義が私刑の理由になりようがないのは明白です。
それなのになぜ人々は正義を理由に私刑を行うのか。

法治国家と私刑

まず大前提として私刑は違法であり犯罪とみなされます。
それは日本が法治国家であり日本国憲法第31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とはっきりと定められているからです。
それは時に推定無罪の原則などとあらわされる場合もあります。
これにより冤罪を防ぎ、罪に応じた妥当な刑罰を科すことができる、それが本来あるべき法治国家としての正しい姿です。
しかし、それだけでは不十分だと考える人々の処罰感情の暴走がいまの私刑という現状を生んでいるのでしょう。

これはわたしの個人的な見解ですが、きっと多くの人々は自分たちの行為が私刑またはそれに加担するものだとは思ってもみないのではないでしょうか?
全ては正論であり自分たちはただ私見を述べているだけで間違った事は何一つ言っていないし、そもそも相手は罰せられるべき罪を犯した存在なのだと。
なぜなら被害を受けた者がそいう訴えているからだ、と。

この思考は本当に正しいといえるのでしょうか?
いいえ、わたしには全く正しいとは思えません。

まず第一に、以前の記事にも書きましたが人の数だけ真実は無数に存在します。
そのため、二人以上が絡んで起こる物事の背景には必ず双方感での矛盾や見解の相違が存在します。
一つの側面だけをみて物事の本質を断定する事は誰にも絶対に不可能です。
それは当事者であればなおさらです。
これは全ての当事者においてその置かれた立場にかかわらずにいえる事だとわたしは考えています。
自分に起こった事について主観を完全に取り除き客観的に、かつ公正に物事を判断することは極めて難しい。
なぜなら人間は感情の生き物であり、防御規制を働かせる生き物だからです。
だからこそ問題が起これば見解の相違が生まれる事はごく当たり前の現象なのです。
それを第三者がごく一部の限られた情報の中で、どちらか一方が完全な虚偽であると断定し、批判するのはあまりにも無知であると言わざるをえません。

ではなぜ、人々は絶対的な悪と正義を断定し誰かを批判し、時には誹謗中傷に及ぶほどの悪辣な言葉を投げつける事ができるのでしょうか?

偏向報道と私刑

その原因はやはり、近年繰り返し問題視されているにも関わらず、一向に改善されないメディアの偏向報道と、営利目的で真偽不明な内容をセンセーショナルに書き立てなんの責任も取らない無責任な週刊誌記事のせいでしょう。
彼らは一様にそれがさもただ一つの真実だと言わんばかりの扇動をし、民意の怒りや嫌悪の感情を無責任に煽り立てる。
それによって次第に人々は自身の経験や過去の記憶から想像力をはたらかせ、自分勝手に理由付けをして意見を白熱させる。
その理由の真偽を立ち止まって冷静に考える事もせず、自分の正当性を裏付ける事実だけを拾い集め、自分の信じる答えを否定するものは無意識に排除してしまう。
なぜなら、人は怒りに支配されると途端に周りが見えなくなってしまうからです。
ひとたび私刑を行っていい対象だと自分の正当性を確信してしまえばその対象の言葉には耳を傾ける必要性を感じなくなるのでしょう。
そもそもメディアが両論併記の義務を怠っているのですから、よほど関心が強い内容でなければ人々が得るのはメディアからの偏った情報だけなので、もう一方の意見はほぼ隠れて見えなくなってしまいます。
ネットニュースの見出しだけ、メディアの意図的に切り取られたあらすじだけを真に受け、物事の本質を自分で精査することを怠り辛辣な言葉を投げかけてしまう。
一度その渦中に入ってしまえば同志はたくさん現れ、自分たちの行為に疑念を持つこともせず、強い言葉の数々に次第に自制心を失って麻痺してしまいます。
その流れの中で自分でも気が付かないうちにいつの間にか私刑という行為に身を投じていいる人もいるのではないでしょうか?
一部には意見が白熱するあまり、誹謗中傷にまで至っている事に自分で気づいていない人もいる。
酷いケースでは断罪することに脳が快感を覚えそれをやめられなくなっている人もいるのではないでしょうか?


これはとても危険な風潮だとは思いませんか?


昨今、無責任な報道によりたくさんの著名な方々が私刑という名の社会的制裁によって、いろいろなものを理不尽に奪われています。
少し前に、SNSによりある日突然『殺人犯だ』と言われてしまった著名人の方がいらっしゃいました。
その方は冤罪であったにも関わらず執拗に誹謗中傷を受け、本当の犯人が逮捕されているにも関わらず彼の犯行だと決めつけられ、多大なる精神的苦痛と風評被害によって仕事ができないなどの被害にあったそうです。
そうやって刷り込まれた情報は今もなお彼を苦しめ「あなたがやったんでしょ?」などと未だに言われて驚く事があると発信されていらっしゃいました。
とある公人は虚偽の申告により多大なる名誉棄損や妨害活動をうけたにも関わらず、のちに告発者が虚偽であったことを認めたという報道はほとんど話題にならなかった。
それ以外にもメディアの偏向報道によって一方的に悪者に仕立て上げられバッシングの嵐の中、仕事を追われたとある会社の社長が裁判によって無罪となった判例もありましたが彼らの人生が以前とかわらず元通りになる事はきっとありえないでしょう。
このように事実でなかったとしても一度奪われてしまったものを完全に取り戻すことは不可能なのです。
それがどんなに恐ろしいことか私刑を是とする人々は想像することもしないのでしょう。
なぜなら彼らは自分たちの信じる見せかけの正義に酔いしれ、相手を糾弾し完膚なきまでに叩き潰す事には興味があっても、それが事実だったか否か、自分たちの行いの結果どんな犠牲が生まれるかなどには全く関心がないからです。

繰り返しますが法治国家における私刑は完全な「違法行為」です。


違法行為と正義を結びつけてしまう今の現状こそが狂気に歪んでいるという事に、一人でも多くの人が一刻も早く気づいて欲しいと切に願います。
正義は貫くものであり振りかざすものではありません。
振りかざした時点でそれはもう正義ではなくただの暴力です。
そしてそれをあたかも扇動するかのような偏向報道には徹底的に異議を唱えていかなければならない。

法治国家として問題解決の正しい姿は、刑事的な介入が必要になった場合、あるいは問題について双方に見解の相違が生じ解決が困難である場合には、両者にとって平等かつ公平な法の下で双方の主張を客観的に信憑性・正当性を検証された実証に基づいて公正公平に裁かれる事です。
その結果、中立な裁判の場において法で裁けないという事は裁けるだけの事実を立証できなかった、あるいは多角的に判断してそれが刑罰を科すべきものとはいえなかったという事です。
その手順をふまずに感情論だけで法の域を超えて処罰しようとするのは違法であり重大な人権侵害です
法で裁けない悪を法の外で成敗するなんて美化されたTVの中だけのフィクションです。
それを現実世界で行う事は過剰な暴力行為であり違法以外の何物でもないと言えるでしょう。

私刑を是とすること、そのリスクへの問いかけ

彼らは著名な方々だから自分たちとは違うと思いますか?
もしそう思っているのならその考えは直ちに捨てるべきです。
この風潮は著名人であっても一般人であっても全ての人に起こりうる危険性がある事を肝に銘じておかなければならないでしょう。
法治国家において私刑を是とすること、それはすなわち冤罪や理不尽な制裁を誰しもが受けるリスクを背負うという事です。
誰であっても平等に与えられる基本的人権は法治国家だからこそ守られているものです。
それを無視するという事は自らそれを手放してしまう事にほかなりません。
その行いの先にあるリスクをもう一度よく考えて欲しいと心からそう願います。

このように書いているとまるで全ての人がそうであると主張しているような印象を受けかねないので付け加えておくと、誰しもがその内容を鵜吞みにして私刑を是とし、それに加担しているわけではない事もちゃんと理解しているつもりです。
マジョリティは間違いなく私刑に加担しない人々です。
しかし偏向報道とノイジーマイノリティの存在がそういったマジョリティの存在を見えにくくしてしまっているというのが現実だと思っています。
私刑に加担する、その境界線を踏み越えるか否かは、間違いなくわたし達一人一人のモラルやリテラシーの高さに委ねられているとわたしは考えています。

わたし自身も過去のありとあらゆる事柄においてメディアの情報を鵜呑みにしニュースについて私見を語った事が一度もなかったかと問われれば、絶対になかったとは言い切れません。
もしかしたら偏った報道のみを信じ批判的な気持ちでそのニュースについて語った事があったかもしれない。
そう思うといかに自分は無知であったことかと今は深く後悔し、反省しています。
もちろん誹謗中傷などはもってのほかであり、それについては絶対にないと断言しておきます。

このような記事を書くにあたり、できるだけ感情的にならないように、公平であるようにとわたしなりに努めたつもりです。
例えわたしのように影響力のない一市民の私見であったとしても、その内容が誰かを傷つけてしまわないよう慎重に言葉を選び、熟考を重ね、綴っています。
それでも、もしかしたら知らない誰かを傷つけているかもしれないという不安は完全には拭いきれません。
それぐらいネット上に自分の意見を書き込み公開する事は責任を持たなければならない行為だと考えています。
ではなぜその責任を負う覚悟をしてまでこうして記事を書いたのか?
それは現在の風潮への言い知れぬ恐怖心と自分自身や自分の大切なものを守りたいと思ったからです。
サイレントマジョリティとして居続ける事で大切なものを失ってしまう可能性に恐怖を感じ声を上げずにはいられなかった。

加えてもう一つ。
弁護士といわれるいわば法治国家において法を最も重んじなければならない人々が、メディアやSNSの中で偏った批判を展開し、更には私刑を扇動するかのような発言を繰り返しているからです。
これは全ての弁護士がそうだと言っているわけではなく、そういった人々が少なからず存在しているという事実を目の当たりにしたことへの衝撃と失望を覚えたことに起因します。
わたしはその事に法治国家が崩壊してしまうのではないかという言い知れぬ脅威を感じずにはいられませんでした。


私刑を是とする世の中で、それを黙認してしまっては、いつかその渦中に自分自身が引きずり込まれる日がくるかもしれない...
そんな未来に皆さんは恐怖を感じませんか?



大辞林
・正しい道義。人が従うべき正しい道理。
・他者や人々の権利を尊重することで,各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。
・正しい意味。正しい解釈。経書の注釈書の名に多用された。
※一部省略し抜粋

大辞泉
・人の道にかなっていて正しいこと。
・正しい意義。また、正しい解釈。
・人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。
※一部抜粋


≪引用・参考文献≫
・広辞苑
・大辞林
・大辞泉
・フロイトの精神分析学
自分を守る無意識の心理メカニズム「防衛機制」とは?種類・具体例を解説 | Tetsuya's マインドパレス (tetsuyas-mindpalace.com)