見出し画像

#35 「明」を放つ人

ゲッ……。
まじ……。

早朝の京都祇園。
わたしは自分のうかつさに呆れ、小さく笑った。
時刻は5:55。
普段なら、「おっ」と反応するぞろ目も、このシチュエーションではさらりと流れてゆく。

このシチュエーションとは、ホテル仕様の半そで&短パンのスエットの下に何もつけていない状態で、ホテルの入り口でアホみたいに茫然と佇む、というシチュエーションだ。

「ノーパン&ノーブラ&ノーメイクで京都祇園の街に放り出されたわたし」

胸中で自身の置かれた状況を呟き、ふたたび笑う。

「いや、放り出されたわけではなく、うかつなわたしが招いたシチュエーションだよな……」

と、呟きを訂正しながらため息をはきだした。

昨年オープンしたばかりの真新しいホテル。
部屋の内装もシンプルで嫌みがなく、大通りに面していながら、静寂が保たれている。
ベッドに面した大きな窓は開放的だし、チェックイン時に対応してくれた女性スタッフの対応も良かった。
だから、ホテル内にコインランドリーがないことなんて、欠点でもなんでもなかった。

京都在住のホテルスタッフの女性に「嵐山」をすすめられ、
「ならば、明日は早朝から嵐山に行こう」
と決めて25時には就寝。

4時間後に目覚め、まだ覚醒しきらぬ意識のまま、ホテル前にある24時間のコインランドリーに向かい、下着類を全て入れてスタートボタンを押した。

そして、昨晩の雨で濡れたアスファルトがキラキラと反射する様子に目を細めながら通りを渡り、ホテルの玄関前でフリーズした。

ホテル入り口の自動扉が開かない……。

玄関扉に映る呆けた自分の顔をしばし見つめ、ルームキーを忘れて外に出たことに気づく。

時間によっては、フロントが無人になるホテルゆえ、ホテル内に入れるのがいつになるか分からない。
他の宿泊客の誰かがホテルから出てきて、中に入れたところで、部屋には入れない。
覚醒してゆく意識に比例して、自分の置かれた状況が明確になってゆく。

が、しかし、緊急連絡先と書かれた電話番号が目に入る。
けれど時刻は6:00。
緊急ともいえるし、緊急じゃないともいえるような状況で、早朝6時に電話はどうよ、と迷ったわたしは、そのままふらふらと近くのセブンへ向かった。

上も下も、普段あるべき場所に薄い布がないせいで、どこか心もとない。
火曜ということもあり、バス停にスーツ姿の男性や女子学生が列をなしているその背後を、半そで&短パンのスウェット上下のみで歩く。
ポーカーフェイスで、さくさく歩くと、案外慣れてくる。
慣れるというか、開放的過ぎて、笑えてくる。

そもそも、下着って必要なのかな……。 

と、初めて抱く疑問を自身に放ったところでセブンに到着。
飲み物を買い、ATMを利用し、機械から「また、きとおくれやす~」と声がし、ギョッとする。
その声は女性で、どこか、ひゅ~どろどろどろどろ~的、幽霊を連想するような微妙な声質だったのだ。

京都ということで、そのようなアナウンスにしているのだろうが、つっこみどころありのクオリティに笑う反面、昨夜聞かなくてよかった……と安堵しながらセブンを後にした。

ホテルに戻り、今一度玄関扉の前に立ち、「ですよね」と思う。
時刻は6:15。
緊急連絡先の電話の相手は、昨晩対応してくれた女性スタッフかしら……。
だとしたら、お子さんいるっていってたし、もしかしたら起きてるかもしれないよな……。
それに、わたしと同じように、間抜けな利用者は、これまでだっていただろうし……。

思考を巡らせながら、番号の浮かび上がった携帯を耳につける。
呼び出し音が続く。

「……は……い」

声だけで分かる。
若いメンズだということが。
しかも、確実に、この電話で起きたということも。

わたしはまず早朝の電話を詫び、起こしてしまったことを詫び、ルームキーを忘れて外に出てしまったことを告げた。

電話越しに、彼が覚醒していくのが分かる。
かすれ気味だった声が、彼本来の(ものであろう)声となって響いてくる。

「今すぐ行きます。30分ほどお待ちいただけますか?」
「それまで、どこか、待っていられる場所はありますか?」
「ホテルに着いたら電話します」

スタッフとはいえ、有難い対応に礼を述べ、全然待てる、急がなくても構わない、と告げ、わたしはコインランドリーに戻った。

誰もいないことをいいことに、YouTube Music からお気に入りの曲を流しながら、30分ってことは、自宅からホテルまで30分ほどかかるってことかしら……と、改めて申し訳なさが募る。

洗濯が終わり、乾燥機に移してスタート。
彼からの電話より、乾燥が早ければ、上だけでも下着をつけることができるな……。
でも、その際に誰か入ってきたら、またフリーズするよな……。

ぼんやりと思考を巡らせているうちに、携帯が鳴った。


「お待たせしました。どこにいますか?」

時計を見れば、彼の言った30分よりも10分も早い。
まじで、良い奴じゃん……。
これは、本気の礼を言わなきゃだな……。

わたしは、間に合わなかった乾燥に後ろ髪を引かれながら、ノーパン&ノーブラ&ノーメイクのまま、通りを渡ってホテルへ向かった。

向かいながら思う。
電話の彼は、良い奴であり、良い男だろうな、と。
良い声の男性は、良い男であることが多い。
無論、良い声とはわたしの好みの問題であるし、わたしの中のデータでしかないが、わたしは、自身の耳がキャッチする情報を信じている。

昨日の女性スタッフだったら良かったな……という思いが過る中、ホテル玄関前につき、中から出てきた彼を見て、やっぱりな、と思う。
というか、予想以上だわ、と。

ただいるだけで、明るい印象を残す人、というのがいるのは知ってる。
その人がいるだけで、いろいろなことがOKになるような、一緒にいると、陽の思考しか回らなくなるような。
もちろん、内側に陰の部分を持ちながらも、それすら、自身のエネルギーで陽に変えてしまえるような、魂が純粋でピカピカな人。
言うなれば、存在そのものが光に近い人。

彼に礼を伝えながら、わたしは、早朝のうかつな自分を許した。
許したというより、褒めた。
あれがなければ、彼と会うことはなかったからだ。

無論、彼に恋をしたとかいう話ではない。
綺麗な景色を見るとか、良い匂いのする風を感じるとか、そういうレベルの出会いだったのだから、もうそれだけで充分なのだ。

ノーパン&ノーブラ&ノーメイクであることを忘れ、幾つか言葉を交わし、嵐山に行きたいから荷物を預かってほしいと告げれば、OK。
「スタッフがいなければ、カウンターの奥に入れておいてください」と。

いろいろアバウトで良いな、と笑いながら、今一度礼を述べ、わたしはルームキーを預かり部屋に向かった。

出遅れたせいで、天龍寺では、沢山の修学旅行生とバッティングしたし、竹林の小径は人(ほぼ外国人)でいっぱいで、野宮神社はラッシュ状態だったけれど、それすら楽しかった。

大広間で体育座りしながらお坊さんの法話に耳を傾ける学生の姿に、いつかのわたしが重なり、懐かしかったし、外国の人たちが、日本を楽しんでいる様子を見るのは、単純に嬉しかったからだ。

この思考の根幹に、早朝の彼が漂わせていた「明」の空気間が漂っているようで、わたしは終始幸せだった。

渡月橋。
天龍寺。
野宮神社。
竹林の小径。

人でいっぱいの嵐山を後にして、電車に乗ったところで、次の駅名にピンとくる。
たしか、知人が冬に訪れていて、興味もった神社だな……。
そして、わたしは急遽次の駅で下り、京都最古の神社、松尾大社へ向かった。

駅を下り、すぐに大きな一の鳥居をくぐる。
二の鳥居をくぐったあたりから風が吹き出す。
風の中、ゆっくりと境内を進み、本殿へ近づいていくうちに、人払いが起きる。

神社も出会いのひとつと考えているわたしは、自然、人払いが起こる神社に縁を感じる。
心おきなく参拝をする間も風が吹いていて、気持ちよくて眠くなるほどだった。

次いで回路をくぐり、霊亀の滝へ進む。
一歩進むごとに、空気が冷え、澄んでゆくのが分かる。
相変わらず人はおらず、わたしは滝の前に30分ほど居た。
風は止まずに、森の木々を揺らして葉擦れを響かせる。
その音に、水の音が重なる。
大きなカラスが優雅に飛んできて、滝の中腹に降り立つ姿に木漏れ日があたり、神々しい。

その神聖な空気の中、早朝に会った彼の「明」の印象を感じたまま、ある思いに辿り着く。

わたしの周りにいる、わたしが大切に想う人たちも、おおむね、その「明」を放つ、良い声の持ち主であることに。

なんて幸せなのだろうと思い、涙が頬を伝う。
涙の理由について、静かに思いを巡らせ、どうか、彼らの「明」が曇りませんように、と懇願するように思う。

わたしが満ちた気もちで幸せを感じるように、わたしの大切な人たちもその中にいて欲しいのだ。
たとえそれが難しい時があっても、必ずまた、その場所へと自分を運んで欲しい。

そして、わたし自身も、そうでありたいと思いながら、わたしは霊亀の滝を後にした。

ホテルに戻ると、早朝はジャージ姿だった彼が、スーツ姿で迎えてくれた。
「陽」「明」がビシバシ伝わってくる笑顔は、そのままだった。

笑顔だけで人を癒すなんて、素晴らしいな、と思いながら荷物を受け取り、深く頭を下げ、わたしはホテルを後にした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?