病院に出かけた母から家に電話がかかって来た。 待てども巡回バスがすぐに来なかったので 電車の最寄り駅まで歩き出してしまい 今はもう駅のホームに到着していると言う。 数駅先で下車する駅前から病院専用のバスに乗るので その時刻を教えて欲しいとの事だった。 ちゃんと待てば自宅近くからバスに乗れたのにも関わらず 何故にそれまでバスを待てなかったのか。 こんな時にもせっかちな母にイラっとしてしまった。 実は、母から家に電話がかかってくる少し前に 母が行く予定の病院に問合せの電話をかけ
ある日の晩、母がトイレから私を呼んだ。 声のトーンからいつもの母と違っていた。 「ちょっと変な色の便が出ちゃった。 悪いんだけど見てくれない?」 「変な色って…。どんな色…?」と 私はトイレに駆けつけた。 それは今まで生きてきて全く見たことがない色の便だった。グレーに近い色の便だった。 これは異常だと素人にも一目で分かった。 母に言った。 「あのね、普通はこんな色のうんちはしないよ」 「だよね。おかしいよね」 「お母さんやっぱり病院に行きなよ。 おかしいもん。こんなうんち見
母の身体に異変が起きたのは痒みだった。 春に蚊に刺されたわけでもないのに 痒い痒いとやたらに身体を掻きむしる。 塗り薬のウナコーワでは全く効かなくて もっと強めの痒み止めを薬局で買って来て それを身体に母が塗りたくっていた。 母の腕や脚は引っ掻き傷だらけになった。 まだ何が起きてるのか分からなかった。 2016年4月のある夜。 母が「悪寒がするからもう今日は寝るね」と リビングに居た私に静かに言った。 強い痒みから悪寒がして気分が悪いとの事。 さすがに母の身体に何か異常が
母の事をもうそろそろ 本格的に書こうと思いはじめた。 最近、年齢的な事もあり大切な記録が どんどん頭の中から薄れていく。 しかも今年のこの暑さだ。 暑すぎてまったく何もやる気がしない。 母が癌で亡くなるまでの闘病の日々は 自分の記憶に頼って書くしかなく 辛かったあの日々をまた自分が 追体験しそうな気分になり この数年間なかなか気が進まなかった。 しかし、やる気がふつふつと湧いてきた。 今年の夏で母が亡くなって早3年が経った。 何故だか、もう今しかない気がする。 癌の闘
時々、色々自由に書きたい気持ちがふつふつと沸き上がるのでnoteを始めようと思いました。Noteは初めてで操作方法も一切解らないので、書きながら少しずつ慣れていけば良いかなと思っています。宜しくお願いします。