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Zoomに『居るのはつらいよ』

 『居るのはつらいよ』という本がある。京大出のハカセが沖縄のデイケアで働く間に感じた「居る」ついての苦しさや意味を丁寧に描いている。著者の東畑開人さんはあとがきをこう結んでいた。

これはケアしたりされたりしながら生きている人たちについてのお話だ。あるいは、ケアしたりされたりする場所についてのお話だ。そう、それは「みんな」の話だと思うのだ。
 職場、学校、施設、家庭、あるいはさまざまなコミュニティでの「居る」を支えるものと、「居る」を損なうものをめぐって、本書は書かれた。

 ポッと出てきたZoom飲み会。そろそろ飽きも出てきた頃ではないかな。
とか言いながらも、数えるほどしか参加していないのだけど、Zoomは打ち合わせや講義向いたツールなのかもしれないなと思った。そこに集うためのツールとしてはなかなか難しいそうだというのが実感だ。ひと言でいえば、居心地が悪いのだ=居るのはつらいよ

 居心地ってなんなのかなと因数分解すると、大きくは「居場所の有無」「場の共有」になるのではないかな。
 まず居場所と思えるか否かは、居られる理由が次第だと思う。仕事の打ち合わせなら出席が義務付けられる。出たくなくても参加しなければいけない。内容の充実度も関係なくそこに居なければならない。手持ち無沙汰であっても、居座る義務や権利をしかと受け止められる。
 いっぽうの飲み会は自由参加だから、居場所づくりの難しくなる。そして、人数が多ければ多い程ハードルは上がる。Zoom上では1人づつしか話せないのも居場所づくりの大きな制約だと思う。リアル飲み会のように席変えをしたり、小グループ別れて歓談もできない。

 もう一つは場の共有だ。お店でも自宅パーティでも空間を共にすることだけで沢山の情報を共有できている。お互いの表情や仕草、声や音楽、インテリアや温度、もちろん食事の味や香りなどといった情報が会話の潤滑油になっている。Zoomでは相手の顔しか見えないし、背景も変わらない。違うものを飲み食いする。

 だからZoomは便利なツールだと思うけど、あくまでも効率よくコミュニケーションする手段でしかない。『居るのはつらいよ』をヒントにすると、Zoom飲み会は「居る」を支えるものが乏しい。1対多でつなげていくコミュニケーションでは支えてもらっている気もしないし、支えている気もしにくい。

 そんな時にふとノーナレ 「蕎麦屋タナベ VRのススメ」という 番組を観た。こんなことまで起きているのか!とちょっと感動してしまった。

 あるシャイで内気な田名部さん。元々は会社勤めをしていたが人間関係が苦手で蕎麦屋になった。リアルでは友達が少なくてもVRの中では2000人もの友達がいるだった。友達は海外にもいて、極めつけは結婚相手もVRでの出会から始まったのでした。
 考えてみれば親友のような人間関係はしがらみのない時期に生まれやすい。学生時代や、職場ではないコミュニティで時間を共にした人が多いと思う。そう考えてみると、VRというしがらみのないところで生まれた人間関係は親友になりやすいのではないだろうか。
 
 これからの with コロナの時代のヒントをみた気がした。そうそう、VRの世界での田名部さんはGIVEしまくっていた。無償の愛を与え続けているからこそたくさんの友達がいるのは、リアルも仮想も関係ないみたいだ。

#zoom #オンライン飲み #NHK #ノーナレ #VR   #居るのはつらいよ #東畑開人

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