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つくってもらえたご飯

生きていると、自分の価値がぐらぐらとゆらいでしまうことがある。
不注意で失敗してしまったときとか、落とし物してしまったときとか、がつんと不機嫌をぶつけられたときとか、転んでしまったときとか。
情けなくて、涙が出てきて、こんなことくらいでなんであたしは凹んでんだと自分でも自分をバカみたいだと思ったりして。

そんなとき、そんな風に、自分がここにいる意味を感じられなくなった時、
顔の見える誰かにつくってもらったご飯は、腹の底からわたしを支えてくれる。

私のことをなにも知らなくてもいい、お金が介在しているだけの関係だと相手が思っていてもいい。
でもできれば顔が見えるだれかが、わたしの顔を見て、用意してくれるのがいい。
豪華じゃなくていい、安ものでもいい。
そこが、お店でも、おうちでも、テイクアウトでもいい。
ただ、丁寧さがご飯に伝わっているものがいい。

誰かに丁寧に食事を作ってもらえるくらいには、「あんたはここにいてもいいよ」と言われたような気がして、ご飯を食べるとおなかがあたたまってくるんだ。

いまここには、戦闘があるわけでもなく、飢餓が迫っているわけでもなく、寒さに震えながら寝るわけでもなく、雨にさらされるわけでもないではないか。
自分の苦しさだけで、いっぱいになるな。
自分のことしか見えなくなるほど、狭くなるな。

自分の毎日を、誰かの毎日を見るように、みられたらいいのに。

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