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「阿武隈川 卑しい青春」

「卑しい男」

僕は卑しい人間ですから、若い頃には女の人にモテる職業に就きたかったですね。ミュージシャンとかイラストレーターとかですかね。バカですよね。今思うと本当に恥ずかしい。

僕はスポーツ以外のことには何にでも興味があって、やってみるんですが、いずれもそこそこか、平均以下なんです。何の才能もないのは承知しているのですが、まあそれでも下手の横好きですから何にでも手を出しちゃうのです。今は無心になって好奇心に任せて絵を描くことや楽器を弾くことを楽しんでいますね。何しろ趣味の世界ですからね。

「飽きっぽい男」

僕は20歳で大学を辞めて神奈川県の自宅に引きこもりました。あ、ごめんなさい。本当の引きこもりではなく、やることがなかったので仕方なく自宅にいただけなのです。それに田舎者ですから外に出るのが怖かったのです。神奈川といっても田舎じゃないんです。福島生まれの田舎者ですから神奈川も都会です。外に出て人と触れあうのが本当に怖かったんです。

そのうちに自宅で漫画みたいなモノを描き始めたんですが、漫画家になるなんて気はないんです。やることがなかったから描いてみただけなんです。せっかく描いたんだから漫画専門誌に投稿してみようって気になって送ってみたら「選外佳作」でした。佳作じゃないんです。選外なのです。それでも雑誌の講評で、尊敬する脚本家の石森史郎さんに「泉鏡花の世界のようだ」と言われて、嬉しくなってその気になって、2作目も投稿したのです。それも選外佳作でした。3作目も描いたのですが、それは投稿しませんでした。

絵が下手だなって思ったので、通信教育のイラスト講座を受講しながら、目黒の美術研究所にも通うようになり、デッサンを勉強するんですが、すぐに飽きちゃった。絵を真面目に描かなくなって、研究所に通う女の子に片思いばかりしていました。本当にバカ。

そのうちに美術研究所の研究生の女性から「新聞のイラストを描ける人いますか?」と言われて「僕、漫画描いてました」なんて言ったら、フリーライターを紹介されて、その人から「デイリースポーツの挿絵を描いてくれ」って依頼されて2年間描いてたんです。でも、フリーライターさんから声がかからなくなって、「仕方がない、バイトするか」って、働く気になるんですね。

「アイドル生写真撮影で写真家を目指す」

新聞の求人欄に「レコード店バイト募集」広告を見て応募したんです。それは、二子玉川の高島屋ショッピングセンターの中にあったレコード屋でした。そこでアルバイトを始めるんです。音楽も好きだったので色々な音楽と出逢いました。凄く面白かった。

接客以外には、僕がカメラを持っていたので、店長から「アイドルの生写真を撮れ」って言われて、北原佐和子さんがいたパンジーや石川秀美さんに小泉今日子さんに渡辺めぐみさんなどが来店した時に撮影したり、あるときはパンジーの公演中の渋谷公会堂まで行って彼女たちの写真を撮ったんです。

生写真というのは、レコード予約の特典のことです。プロのカメラマンじゃなくて、僕のようなアマチュアが撮った写真がオマケとして喜ばれていたのですね。でも、それで撮影時の照れがなくなり、その後、出版社で働く際の取材写真撮影に大いに役に立ったのです。当時は肖像権など、うるさくなかったのですが、電車や街中で人物写真を撮る際にも「写真撮らせてください」と堂々と言えるようになりました。

二子玉川のレコード屋は、成城に近いですから、高島忠夫さん親子(息子さんたちが楽器を買いに来たり、バイトの先輩と交流もあるようでした)、森昌子さんのお母さんが娘さんのレコードをまとめ買いしに来たり、当時人気があった、せんだみつおさんなどの芸能人の方々がたくさん来ました。

生写真を撮ったり、芸能人たちが身近に思えちゃってですね。今度はカメラマンになりたいなんて思うようになるんです。荒木経惟さんに森山大道さんなんかの写真に憧れてね。まあ、真剣に写真家になろうなんて考えてはいません。本音は、卑しい人間ですから、カメラマンってモテるだろうな? と思ったわけです。ちなみに荒木経惟さんや森山大道さんの写真は芸術ですから、モテるという写真ではありませんがね(笑)。

それからレコード屋を辞めて、新宿でひとり暮らしをはじめ、池袋の西武百貨店に画材商社の社員として出向することになるのです。

つづく




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