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東京万景 「麻布一の橋へ」

目黒での打ち合わせが終わってから千葉の妻に「終わったからすぐに帰るよ」と電話した。すると妻は「寄り道しないで帰ってきてよ」と言った。「わかったよ」嘘をついた。帰宅の電車の中で路線図を見ながら考える。

妻は僕が東京に出ると、ついどこかに寄り道してしまう癖を知っている。寄り道癖は僕に放浪癖からだとわかっている。若い頃には日本中のあちこちに旅して写真を撮った。意識的に孤独に自分を置いた中で写真を撮るのが好きだった。旅は孤独になれる。知らない土地で知らない人たちと話す機会ができることに満足できた。孤独の中に生きがいを感じるというひねくれた性格なのだ。

千葉の自宅から2時間弱という距離の都内でも工夫すれば“旅している”と感じることができる。都内でも知らない場所は多いのだ。それに打ち合わせで疲弊した脳のまま街をぶらつくのは実に幻想的で、眼に映るモノ全てが、非現実的だ。これが「疲弊ハイ」というやつだ。

今回は白金高輪で降車することにした。白金高輪には「麻布一の橋」がある(と思っていた)。一の橋は、清河八郎が佐々木只三郎らに暗殺された場所だ。橋と言うからには川に架かっている。古川という川だ。古川はもともと渋谷起点の渋谷川であり、麻布一帯を流れ、浜松町の将監橋から地下を抜けて東京湾に流れ出る。

清河八郎とは幕末の策士で、自分が両国橋で人を斬った罪の大赦を狙って、「急務三策」( 攘夷の断行、 大赦の発令、 天下の英材の教育)を書き示し、仲間の山岡鉄舟らを動かして福井藩の松平春嶽に働きかけ、入京する将軍・家茂の警護を行なうために浪士組の結成を目論んだ。ついでに自分の罪も許してもらおうという姑息な考えだ。しかも、清河の真の姿は薩摩の伊牟田尚平、益満休之介らと結ぶ過激攘夷倒幕テロリストだ。浪士組は結成後に京都に赴くが、入京後に清河は「我らは尊皇攘夷の先鋒となる」と弁舌をふるう。

清河の真の目的を聞いて驚いた幕府は、浪士組を江戸に戻して清河の暗殺を計画する。浪士組の一部は京都に残ることになるが、これが近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田左之介、芹沢鴨らの壬生浪(みぶろ・のちに新撰組)である。清河の画策による政治犯の大赦は、清河だけのものではなく、当時の政治犯をも含んでいる。それによって赦されたのが水戸の天狗派で入獄していた芹沢鴨だった。

新撰組好きな僕は、清河暗殺の場所に行ってみたいと思っていた。多くの書物やWikipediaにも暗殺場所は赤羽橋だと書いてあったので、赤羽橋とばかり思っていたら、調べると赤羽橋ではなく、その上流となる麻布一の橋であることがわかった。今日はその一の橋の写真を撮ろうと考えて、ぶらりと白金高輪駅で降車してしまった。駅は高層ビルに囲まれているが、その麓には都会の中心地には不釣り合いな田舎のような街が広がっている。僕は東京のこういうところが好きだ。

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地下から出て案内板もないので迷っていると、中華料理屋の店員が店先に出て看板を出していたので「お仕事中に申し訳ありません。麻布一の橋はどこにありますか?」と聞いた。すると、「この先の道をずうっと先に行ったところだよ」と言う。「ありがとうございます」と頭を下げてその道を歩いて行く。道は「麻布通り」と言うらしい。しばらく歩くと橋があった。「古川橋」と書かれている。見れば古川に沿って遙か先まで高速道路の高架が並んでいる。

古川橋

古川橋を通称で一の橋と呼んでいるのだろうか?と思ったが、何か変だ。いずれにしても今日は諦めようと、踵を返して白金高輪駅に戻る。その途中で麻布通りを挟んだ対岸に古書店があった。

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古書店を見ると、もう我慢ができない。麻布通りの歩道橋を渡って対岸に渡る。そして古書店の前に立つ。店頭を見ると「欲しい本がない」。ここで店主の好みがわかる。奥に入れば欲しい本があるかもしれないが、店頭から見える本を見ると、僕の趣味とは合わないようだ。

ただ、店内の本の積まれ方に驚く。雪崩をうったように本が斜めに積み重ねられている。これは凄い。芸術的でもある。奥を見ると年老いた(僕も年老いているが)夫婦(らしい)が話をしている。店内に入るのを諦めて歩く。

いつの間にか白金高輪駅とは反対側に歩いている。「こうなりゃ一の橋まで歩こう」と意を決して歩く。高速高架に沿って歩けば一の橋に着くだろう。古川に沿って歩くことになる。その間、路地裏に入ったり、麻布通りに戻ったりしながらジグザグに歩く。疲れる。

工場monokuro

路地裏 sirokuro

疲れるので麻布通りを歩く。出版社時代に営業に行ったことがあるZ印のビルを見つけた。「ああ、対岸の丘を越えれば広尾だ。ミドリ安全の本社がある。懐かしいな…」ブツブツ言いながら歩く。古川橋、三の橋、二の橋、小山橋を経て麻布十番駅交差点まで辿り着く。一の橋は麻布十番交差点にあるのだ。ちなみに二の橋を芝側に貫いているのが「日向坂」である。

歩く歩く…疲れた。一の橋は麻布十番にあるので、目標としては迷うことはないが、しかし、こんなに遠いとは思わなかった。

俺

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んで、ようやく麻布十番駅に到着。つまり一の橋に到着。小さな橋だ。ここで清河八郎が殺されたのか? 歩き疲れたので感慨に浸る気力もない。振り向いて麻布十番の方を見る。目の前の麻布通りを渡れば、芸能人たちが好きな麻布十番の街だが、僕には興味がない。

橋を渡った芝側に抜ける丘陵地帯には会津藩下屋敷や久留米藩や佐土原藩(薩摩藩支藩)などがあった。高速高架やたくさんのビル群に覆われた街は何だか空しいが、ここはまだ昭和の匂いがする。

「江戸時代に戻れれば、僕でも少しは世の中に貢献することができたかな?」なんてバカなことを考える。空しくなって麻布十番駅の階段を降りる。大江戸線で大門に向い、都営浅草線(北総線直結)に乗り換えて帰宅の途についたのであった(笑)。

一の橋


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