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新撰組

僕はいつものように夢を見ていた。夢を見ていたというのは僕の主観であり、客観的に見れば、夢遊病であったり、認知症における徘徊であったりするのだが、夢の中に存在する今の時点では、いずれかはわからない。

僕は新撰組の土方歳三と歩いていた。僕はチューリップハットを被り、Gパンにダンガリーシャツという70年代のような格好をしていて、土方は襟なしのシャツに戎服(じゅうふく)を着こみ、そのうえにマントを羽織って、足元はブーツを履いている。

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季節は夏のようなのに土方の格好は冬服だ。

「暑くないですか?」土方に聞くと、彼は黙って首を横に振った。既に洋装に合わせて断髪して短くなった髪の毛には白い毛が混じっている。確か35歳なはずだが、人生50年だった時代では35歳でも白髪が生えるのだろう。

土方が羽織っているマントは慶応4年の2月に6両2分で購入したモノだ。当時は「万てる」と言った。

「相変わらずオシャレですね」僕が言うと、彼は何も言わずに笑った。

僕たちが歩いている場所は、上野公園の御徒町側のようだった。江戸時代では寛永寺の黒門側だ。ただし、周辺には人の姿は見えない。僕たちだけだった。

「懐かしいな」土方がはじめて声を出した。

「何がですか?」

「松坂屋があるじゃねぇか」

「ああ、土方さんはあそこで丁稚をしていたんでしたっけ?」

土方が頷いた。その頃のことを思い出したのだろう。子どものような笑顔で広小路を見ていた。

「黒門がねぇな…」

「ああ、彰義隊の戦いでボロボロになったので、千住の円通寺の住職が彰義隊の遺体をそこで焼いて円通寺に葬った縁で、黒門も移されましたよ。円通寺には慰霊碑もありますよ」

「慰霊碑…誰の?」

「土方さんと近藤さんの慰霊碑ですよ」

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「ああ、やっぱり俺は死んでいるんだな?」土方が足を留めた。

「函館で死んだではありませんか?」僕が言うと、土方は黙って頷いた。暫くすると肩が震えている。泣いているのだ。

「死んだのが悔しいのですか?」

「俺は芹沢鴨や伊東甲子太郎や山南敬助だけでなく多くの隊士たちを粛正してきた。奴らに切腹を迫ったり、直接手を下したりしたが、実は、俺自身死ぬのが怖かったのだ。奴らが死ぬところを見て俺は恐ろしかった」

「では、何故、山南さんを罠にかけるようなことをしたでんすか?」

「君は新撰組のような集団の責任者になったことがあるか?」

「いいえ。僕は会社勤めで万年平社員でした」

「ひらしゃいん…」土方が怪訝な表情を浮かべた。

「ああ、平隊士…いや、町人でも、うーん…丁稚のようなものです」

「ならば、わかるまい。勤皇佐幕という話ではない。あの頃は血に飢えた危険な奴らに隙あれば命を狙われたのだ。誰もが信じられなくなり、芹沢たちを殺したあとには、隊士を装った薩長の犬が入り込んできた。近藤さんは人が良いから、よく吟味せずに入隊させたから、多くの密偵が入り込んできた。そのうち誰も信ずることができなくなった」

「山南さんは…」

「山南を池田屋の騒ぎに加えることができなかったが、それは長州に近づこうとしたからだ。芹沢を殺したあとに奴は長州者と接するようになったのだ。俺は多摩時代から奴を知っておるが、なかなかの曲者でな…」

「そうなんですか?意外だなぁ」

「未来の人間は何も知らぬのだな」確かに…そうだ。未来では記録しか手がかりがないが、それも真実かどうかはわからない。

すると、土方が何かに気がついた様子で顔色を変えた。少し離れた場所に男が立ってこちらを見ている。僕には上野の駅前に屯する人たちにしか見えない。

「原田じゃねぇか!」土方が叫ぶと、男は走って逃げた。

(原田? 永倉新八と一緒に靖兵隊に加入して会津を目指したが、千葉の野田で江戸に引き返して、彰義隊に入って戦死したと言われる原田左之助か…)

「待ってくれ!」土方が原田のあとを追って走った。

「土方さんっ!」僕が叫ぶと、土方は走りながら僕の方を見て何か叫んだようだったが、聞き取れなかった。土方のあとを追おうとして走ったが、恐ろしく足が早くて追いつけない。あっという間に土方の背中が小さくなった。

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