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東京万景 荒川区 浄閑寺

南千住駅近くの小塚原刑場跡(回向院と延命寺の敷地内)から歩いて15分ほどのところに浄閑寺(じょうかんじ)というお寺があります。このお寺は承応4年・明暦元年(1655)に創建されました。近くにある吉原遊郭の遊女たちがこの寺に葬られたそうです。安政2年(1855)に起きた安政の大地震によって吉原遊郭の遊女が数多く亡くなって、彼女たちの遺体が寺に投げ込まれたことから、以来、「投げ込み寺」と言われたといいます。

本来、投げ込み寺とは、身寄りのない遊女たちや行き倒れの遺体が投げ込まれるように葬られたことから投げ込み寺と呼ばれましたが、浄閑寺は、安政以前には投げ込み寺とは呼ばれてはいなかったようです。

浅草や吉原と馴染みが深い作家の永井荷風は、日記「断腸亭日乗」にも書いているように、自分の死後、浄閑寺に葬られたかったようですが、遺族の反対にあって、結局、雑司ヶ谷霊園に葬られてしまったそうです。

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浄閑寺は、写真家・荒木経惟さんの家の菩提寺です。1990年に亡くなった奥さんの陽子さんもここに葬られているのです。陽子さんとは面識はないけれど、少し個人的な事情があって、陽子さんのお墓に手を合わせたいと何度か浄閑寺を訪ねたのですが、荒木家の墓の位置がわからず、願いは叶いませんでした。

しかし今回は、墓の掃除をしていた僧侶の方を見かけたので「荒木陽子さんのお墓はどこですか?」と聞いてみました。墓なんて個人情報のようなものですから関係者以外には教えないのではと思っていましたが、僕が首から下げているカメラを見て「ああ、こちらですよ」と、親切に墓の前まで案内してくれたのです。

お盆なのに荒木家の墓前には供花も供物もありません。まるで無縁仏のお墓のようでした。

「こちらが荒木家の墓です。陽子さんが眠っています」

「お盆なのにお花もないんですね」

「ああ、東京のお盆は旧暦の7月(新盆)なんですよ。先月はお参りする方がたくさんいらしてましたよ…」

「そうですか、ご親切にありがとうございました」僕がお礼を言うと、僧侶は案内所に戻って行きました。

僕は、陽子さんが眠るお墓に向かって手を合わせました。

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僕の好奇心は瞬間湯沸かし器みたいなもので、根が飽きっぽいから、好きなものをずうっと追いかけるなんてことはできません。ただし、飽きたからって完全に放棄するのではなく、途中で休憩しているようなもので、いつでも復活できるように心の片隅には秘かに生きているのです。

僕の写真は仕事ではないし、稚拙な趣味にすぎないから、好奇心が動かないときは何も情報がありません。最近の荒木経惟さんに関しても知らないし、ましてやセクハラ問題についても全然知りませんでした。尊敬しているからといって、その人をずうっと追いかけているわけではないし、何度か面識があるからといって、その人の人間性までを知ることはできないのです。それに、作家や芸術家というのは、結局、作品が全てだと思うから、個人の問題はどうでもいいのです。何か問題があれば、結局、悪い方が裁かれるのですから…。

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