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東京万景「ザ・ドリフターズのこと」

「ザ・ドリフターズ」

少し前に仲本工事さんが亡くなりました。ドリフターズのことは、いかりや長介さんの著書「だめだこりゃ」(新潮文庫)に詳しいです。以下は、それを参照しました。

初期のドリフは、いかりや長介さんがリーダーではなく、初代が岸部清さんという方で、バンド名は「サンズ・オブ・ドリフターズ」でした。坂本九さんもバンドボーイをしていたそうです。二代目は桜井輝夫さんでした。

いかりや長介さんがドリフターズに加入したのは昭和37年(1962)でした。いかりやさんの他に加藤茶(加藤英文)さん、後にドンキーカルテットを結成する小野ヤスシさん、ジャイアント吉田さんたちもいました。その後、方向の相違で小野さんたちが抜けたあとに高木ブーさん、荒井注さんが加入。最後にブーさんの紹介で仲本さんが加入しました。いかりや長介、加藤茶、荒井注、高木ブー、仲本工事の新生ドリフターズは、昭和39年(1964)にスタートしました。

志村けんさんがドリフターズの付き人になるのは昭和43年(1968)のことです。それから彼が出たり入ったりしたあとに荒井さんがドリフターズを辞めると言いだして、昭和49年(1974)に正式に脱退。代わりに志村さんがメンバーになりました。僕は、荒井注さんが好きだったので、代わりに入った志村さんはキライでした。当時の子ども達に人気だった、志村さんのギャグなんかも、僕が多少大人の精神になっていたからかもしれませんが、何が面白いのか、さっぱりわかりませんでした。

それに、彼の酒癖、女癖が悪そうなところも好きになれませんでした。彼がコロナで急逝するまで、彼が出演するバラエティー番組も数回観たくらいです。

「仲本工事さん」

加藤さんと志村さんの華やかさに比べて仲本工事さんは“体操”以外、目立たぬ存在ではありましたが、ドリフターズには欠かせぬ人材でありました。テレビでは志村さんの派手な活躍ばかりが目立って、いつの間にかドリフターズは解散したのか? なんて勝手に思い込んでいましたが、とんでもない。まだドリフターズは解散していないんですね。

いかりやさんは役者、加藤さんと志村さんはバラエティー、ブーさんはハワイアン、仲本さんは…? 一番地味な仲本さんは、テレビに出ないし、どうしておられるのか? と思っていたら、今回の不慮の事故死でした。お酒が飲めないのに飲み屋さんを経営されていたとか? 仲本工事さんの自宅をニュース画像で観ましたが、一般人のような生活状況に涙が出ました。

その清貧な仲本さんと比べたら…おっと、比べるのは仲本さんに失礼ですが、歌手のようであり、芸人のようでもあり、なんだか実態を掴むことができないタレントがいます。歌も下手くそだし何も面白くないのに異様に人気があって、いまだにテレビに出続けて、世田谷の高級住宅地に邸宅を構えて贅沢な暮らしをしながら趣味の無駄遣いを見せつけて「何年芸能人をやっていると思うのよ?」なんてふんぞり返って威張っているのですが、アレは実に不快ですね。仲本さんの清貧さが神々しく見えます。

今の若い人たちは、生活保護者や外国人労働者を差別するように思えますが、将来、自分たちが想像もできないほどの貧困や日本を追われてしまうことを想定できないようです。

仲本さんのことも「将来を見据えた計画ができなかった」「芸能人なのに財を築けなかった自分が悪いんでしょう?」「分不相応の若い女と結婚するからだ」「自己責任だろう?」なんて鼻で笑うのかもしれません。まぁ、結局は、そうなんですが、でも想定外の自称を想定できぬ他人批判ばかりの、そんな世の中でいいのかな? なんて思います。

「いかりや長介さんのお墓」

いかりや長介さんのお墓が葛飾区にあります。僕は一時、有名人のお墓参りに凝ったことがあって、何度か墓参りに行ったことがあります。ミドリ安全.comさんの近くのお寺「蓮昌寺」にお墓があるので、ミドリ安全さんに伺った帰りに蓮昌寺に立ち寄れるのですね。ちなみに北野武さんの実家の菩提寺もこのお寺だそうです。

そのうち、ミドリ安全.comさんに伺うと思います。そのあとに、「蓮昌寺」まで行って、いかりや長介さんの墓参りをしてきたいと思います。

いかりやさんには、急逝した志村さんと仲本さんのことと、先に逝かれた荒井さんはどうしているのかを尋ねてみたいと思います。ああ、僕は一般人だし、いかりやさんの親族でもないから、何も答えてくれないとは思いますがね。


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