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「妄想邪馬台国」13

「少し、日本列島の成り立ちについて見てみようか?」
「その方が邪馬台国について理解が深まるかもしれないわね」
「おい、おい、まだ話が長くなるのかよ、出雲説はどうなったんだ?」
「出雲説については結果が出ているじゃないか。半島から渡ってきた弥生人が、日本先住民である縄文人の領土を奪った。そのひとつの出雲の国…かなり規模の大きなものだったと言われているんだけどね、それが出雲の国譲りとして描かれているというわけさ」
「2世紀後半に倭国大乱ってのが起きるんだ。これがオオクニヌシが高天原から降りてきたタケミカヅチ軍に降伏した…」

タケミカヅチ

「あ、高天原は朝鮮半島のことね。現実のできごとを正当化しようと神話のような話にした」
「うん。はなから神話のような話にしたんじゃなく、あれが現実であると主張しているんだよ。天皇の祖先は神であるってことをね」
「不老不死の神が下界に降りてきて、寿命のある人間になったってこと? そんなおかしな話を信じるなんてね…」
「そう思うだろう?でも、現代でも人間を生き神様だって崇めているおかしな人間たちがたくさんいるんだから」
「人間って愚かよね」
「オオクニヌシの国譲り物語は、倭国大乱を表したものってわけだね」
「ちょっと、倭国大乱って?」
「2世紀後半に日本で起きた内戦の事よ。近畿から瀬戸内の広範に起きたとか、ヤマト朝廷と出雲との戦いであったとか言われているのよ」
「中国の史書には2世紀の後半に大規模な争いが起きたと書いてあるんだ。実際に瀬戸内海の丘陵部には監視所や狼煙をあげるために作られた高地集落が点在しているのさ。それに当時の時代のものと思われる人骨には金属製の武器によって傷つけられた痕があるんだ」
「紀元前1世紀頃には日本各地に100ほどの国があったらしいのよ。それで、原因はわからないけど、ちょこちょこ争いが起きていたんだけれど、遂に大戦争になったってわけよ。で、勝利者が国を統治していくのね」
「戦国時代だね」

1998年から約3年にわたって鳥取県の青谷上寺地遺跡を調査した際に、100人以上の人骨が約5300点も出土し、そのうち110点には武器によって傷つけられた痕があった。これは大量殺戮の跡だと思われている。これによって倭国大乱は近畿から瀬戸内地方の争いと思われていたのが、大規模な集落の跡がある出雲とヤマト政権との戦いであったのではという可能性も出てきたのだ。

「じゃあ日本の成り立ちについて説明するわね」

約4万年前、当時は氷期だったために海水面は下降していて、ユーラシア大陸と日本は陸続きだった。ナウマンゾウやその他の動物たちが大陸から移動してくると、それを追って日本人の祖先たちがやって来た。

*氷期:氷河時代の中で、比較的寒冷と温暖な気候が時間的間隔をおいて繰り返し訪れるうちの寒冷な気候期。

日本人の祖先が日本に到達した経路には、
①シベリア方面からサハリン経由で北海道へ入るルート、
②朝鮮半島から対馬を経由して船で九州北部に入る対馬ルート、
③中国大陸から台湾や沖縄諸島を経由して船で北上する沖縄ルートの3つがある。縄文人は、主に北のサハリンから朝鮮半島からやってきた人びとが交わってひとつの民族を形成したとみられている。

「縄文時代から上下の位が形成されていたということか?」
「うん、だからホツマツタエが伝えるように縄文時代に」

縄文時代は1万年も続いた。気が遠くなるほどの時間だ。縄文時代は「平等で平和に暮らしていた時代だった」というイメージだが、縄文時代の墳墓から発掘された副葬品によって、「上下格差があった」と推測されている。

弥生時代になってから稲作が始まったと思われていたが、近年では縄文時代の中期~末期には稲作技術が伝わってきたということもわかってきた。

稲作は約1万年以上前に中国の長江下流域で始まった。その技術が朝鮮半島経由して、あるいは中国から海を渡って直接南西諸島を経由して伝わったものだと思われていた。それが近年の調査では約3000年前に九州の北部で始まり、それが600年ほどの時間を経て本州全体に伝わったとみられる。

つづく



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