見出し画像

百物語 18「人を喰らう話」

六国史のうち、平安期に編纂された、清和、陽成、光孝天皇の代である天安2年(858)から仁和3年(887)の国史「日本三代実録」には以下のような話が掲載されています。(中公文庫 日本の歴史「平安京」から)

8月のある晩、午後10時頃に、内裏(天皇の居住地域のこと)・武徳殿東縁の松原の西に美しい女が三人、東に向って歩いていると、ひとりの男が松の木の下に佇んでいた。これがなかなかの美男で、ひとりの女性と意気投合して手を取り合って恋を語り、松の木の下で身を寄せ合っていた。しばらくすると、ふたりの言葉はなくなって、どうしたものかと思って見て驚いた。男と一緒にいた女は手足が折れて地べたに落ち、首と身体がなくなっていた。知らせを受けて内裏の守衛が駆けつけてみると、そこには女性の手足も、男の姿も何も残っていなかった。

天徳2年(958)、ひとりの狂人女が待賢門(平安京内裏の外郭十二門のひとつ)の前で死人の頭を食らっていた。そののちにこの女は、内裏の諸門のかたわらに伏せっていた(まだ生きている)病人に齧りついたという。都では、この女を「女鬼」として恐怖した。

*そういえば、僕の書いた文章(下記リンク)にもそんな話がありましたね。お時間があるときにお読みください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?