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あをによし 奈良のむかしへ いざなう大路【平城宮跡歴史公園】 奈良歩き

藤原京とくれば、やはり次は平城京。
710年に藤原京より遷都された平城京、次の長岡京の遷都まで74年間日本最大の都市として栄えたとのこと。

その跡地が歴史公園として一般に公開されています。
近鉄に乗っているとその公園内を線路が貫き、北側の席に座ると南の朱雀門が
南側に座ると北の大極殿が見え、「おー奈良だわ!」と初めは感動した記憶が。
最近は慣れましたが、それでも遠目に見ても大きな朱の建物には特別な存在感があり、気になってはいたところ。

今回やっと訪れます。
朱雀門からの入園したかったので、地図を見ると尼ヶ辻から近そうでした。
ということで近鉄尼ヶ辻駅からスタート。

ここは気になる古墳もあり
川鵜が潜っては顔出し
泳いでは顔出し。。。


秋篠川沿いを歩いた後は、国道沿いを東に東に。

しばらくすると左手に船が。

復元遣唐使船

えっ、これで唐へ?
そりゃ命懸けですわ。

そして朱雀大路の正面に見えるのが、電車からだと南に見える朱雀門。

朱雀門

朱雀大路からの風景、なかなか壮観。
古の外国使節達をここで迎えたり、多くの人々が行き来していたという。。。

朱雀大路の両サイドに色々な施設(お土産屋、レストラン)(歴史案内)があり
それぞれとても整っています。

東側にある『平城宮いざない館』を眺めながら、『天平つどい館』前で一休み。
暑いこともあるかもしれませんが、とにかく人が少ない!
本日も出会ったのは、また小学生御一行様。
あと外国人の方がチラホラいるくらい。

『平城宮いざない館』

ひとやすみの後、『平城宮いざない館』を見学。
平城京での当時の生活の様子や出土品、企画展などがいくつかの部屋ごとに展示。
とても見やすくキレイな施設でした。

四神に守られた都


万葉集コーナーにて


大極殿へ向かいます。

西に生駒山
東に春日山
朱雀門


朱雀門をくぐると、線路の向こうに大極門

近鉄線と大極門


踏切から朱雀門


線路を渡ると、遠くに見えるは『大極門』
電車から見えていたのは大極門で、その奥に『大極殿』がありました。
『大極門』の隣の東楼が現在復元中。

大極門と復元建設中東楼


見ての通りの大空間。
陰どころか何もございません。
当時は東西に建物があり、役人の執務や式典などが行われた場所。

学生さんなのか走っている若者と、自転車で通り抜ける地元のご婦人を見かけたくらいで、誰もいない。
このど真ん中を、一人時間が止まったような錯覚で通り抜け大極門へ。

大極門からみる第一次大極殿院

青空に金の鯱鉾が輝く大極殿。
こちらは中に入れます。

玉座


大極殿から春日山


ぐぃーんとズームすると大仏殿と二月堂も見えます。

東大寺大仏殿の奥に二月堂


奈良のいいところは、やはり大都会でないこと。
ここ平城宮跡がある、近鉄西大寺駅から近鉄奈良駅、JR奈良駅の間は
奈良の中心地といえる地域ですが、高層ビル街的なものがなく
広々と遠くまで見渡すことができます。
この公園も真ん中に立てば、周りの山々の景色は千年以上前のそれと大きく変わらないのでは?!

そんなことを考えながら『東院庭園』へ。

のどかな景色


東の端まで歩きます。
電車から見ると、公園の横にある大きな車屋さんのちょうど裏(北側)。
公園貫く線路より、ワタシはこの車屋さんの存在の方がいつも気になる!
歴史の余韻もカケラもないのよね。

でも中にいたら、そんな現実世界は全然見えず平和でした。

天皇や貴族が宴会などを行った建物や庭園が復元された庭園で、
自然の風景を主題とした平安時代以降における庭園の原形ともいえる重要な遺跡。

雅な宴が


庭園の池にて
これは知ってる!
赤トンボ


これが平城宮跡歴史公園の大体です。
まだ『平城宮跡資料館』や『佐紀池』やら『市庭古墳(平常天皇陵)』など
見どころはあるようです。
様子はわかったので、また季節が変わった時にでも訪れることに。

『平城宮跡歴史公園』とても気に入りました!
やはり、京ができたところは非常に『気』がいいですね。
それを強く感じたのは『京都御所』ですが、ここも然り。

もちろん当時はもっと賑やかだったり、雑然とした部分もあったでしょうが、
なんでしょう、東西南北がはっきり位置づいている安心感?
うまく言えませんが、スッキリするのです(笑)

ただ74年しか存在しなかったのは、どんな理由があるのしょう?
あっという間にお引っ越しでしたね。



歴史公園の後は、東院庭園のすぐ北側にある『宇奈多理坐高御魂神社』をお参り。
門が閉まっていて中には入れませんでした。


ここにも坐神社
本殿は重要文化財指定

本殿は室町時代の建造
御祭神は高御魂神、太玉命、思兼命の三柱
境内社は天鈿女社(祭神天鈿女命)猿田彦社(祭神猿田彦命)手力雄社(祭神手力雄命)大宮媛社(祭神大宮媛命)豊岩窓社(祭神豊岩窓命)と興味深い神様たち。

由緒
延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では宇奈足とも菟足とも書いている。武内宿禰の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇六年(692)二月には新羅の調を伊勢住吉紀伊大倭菟名足の五社に奉るとある。その一社でこの神社の神戸は正倉院文書の天平2年(730)大振る税帳新抄格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言っているのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社流造檜皮葺で国指定の重要文化財である。境内一帯は平城天皇の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。

社頭掲示板より

いろいろな事情であっち行ったり戻ったりの神社のようです。


この後は、どこに出て帰ろうかと思っていたら、『法華寺』というサインがあったので行ってみることに。

とても大きく立派なお寺の様子。

でも平城宮でほぼお腹いっぱいになっていたので、今回は拝観は見送り
そのまま歩き、駅に向かうことに。

近鉄の新大宮駅が近そうでしたが、どうせなら奈良まで行こうと
思ったはいいが。。。
結構な距離ありました。
途中で休むようなお店もなく、ひたすら東へ。
「やすらぎの道」を南へ歩き、やっとこさ近鉄奈良駅前へ。



駅に出たら、最近お気に入りのパン屋さんで休憩。

本日もよく歩きました。
我ながら健脚ぶりに感心?!
現在、プチぎっくり腰気味なのですが、動いていた方が(立っている方が)楽なので歩くのですが。。。ほどがある?

今回も身近にありながら、逆に訪れなかった場所に来てみたら
これまた最高!という嬉しい経験ができよかった。

『平城宮跡歴史公園』だけでもじっくり見たら半日がかりになるわけで、
時間に限りのある旅行者は、やはり東大寺エリアが観光の中心になりますね。

ただ、相当の予算がかけられて設備が整ったこの歴史公園施設。
とにかく広く見応えと歩きごたえたっぷり。
当時の雰囲気や都の造りなどに興味や体感したい方には
ぜひお勧めしたい場所です。

日程気にせず、一箇所集中での行動ができるのは近くに住む利点。
移住してよかった最大ポイントですね。

そしてまだまだ行くべきところが多すぎ。
新たに行くと、そこ繋がりであそこも行くべき、
あんなところもあったのね。。。など次から次へと出てくるわけで。

そんなこんなで辿り着いたところには、きっとご縁があったと思います。

しかも何度でも行きたくなるところも出てくるわけで、困ったもんだ。

でも楽しい。




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