いつまでたっても

前回の更新から随分と経ってしまっていて、それは忙しかったからとかそんな理由ではなく、何度も書こうと思うことがあってもなんて書いたらいいのか分からない!と思うからだった(その間、たくさん幽霊も見た!)。姉はどんなに具合が悪くても忙しくても、這ってでも毎日投稿を書いているというのに!ああ、情けない俺、私の投稿など誰が待っている訳でもないのに、ただ書いてみようかなと思うだけなのに、何故こんなことを思うのだろう。。

中学2年になった三女が反抗期に入ってしばらく経つ。この子は長女のだらしないところと次女の面倒なことは投げちまえを併せたモンスターです(笑)そして試験前になると必ず夜遅くになってから分からない質問を私に投げてくる。こないだは数学だった。
これだけ勉強から離れた生活をしていると、もう勉強なんか忘れちまった、と思う自分と、今ならやれっかもしんねぇと思う自分がいる。小学一年生の時に分からなかった問題が2年生になった時に、「あ〜そういうことだったのね、あれは」とあとで理解出来るように、大人になれば分かるようになっているのかも、と思ってしまったりする。そして数学の問題をモンスターから質問されて問題文を読んだ時、瞬殺された。あ〜私、昔からこういうのダメだよね〜変わってねえや、なんっにも。分からないことを分からないまんまにして生きてっからこうなんだ、と毎度思う。そんな時に頼りになるのが姉なのだ!
パシャっと写真を撮って姉にLINEしたら、サクッとすぐに解いて解答を送ってきたじゃねえか。なんつー奴!数学だよ?!
その解答が書いてある、メモで使っていたと思われる用紙に、人間の指の絵が描いてあった。練習なのか突然描いてみようと思ったのか分からないけれど、その指の絵は本気で描いたものではなくて、ただ何となく描いてみたというようなものだった。絵でも文字でもその人の人格がそこに降臨する。その指の絵には、姉の洞察力と長女ならではの穏やかさがポンと姉から離れて降りていった絵だった。鉛筆の芯の粉を顕微鏡で見たとしたら、その粉には姉の一部が乗り移っていて人となって人格を持っていて、顕微鏡のレンズ越しに私に手を降ってくれそうだった。

昔のおいらはさぁ、数学得意かもって思った時がある。連立方程式の時だ。
あー楽しい、なんでこんなに楽しいのだろうって思っていた。どんどん来やがれ、連立方程式。解きまくってやらぁ!って思っていた。俺もやれば出来る、そういや母にやればできる子って言われていた。わりーけんどバカは卒業、姉妹揃って出来がいいよねって近所の人達に言われると思っていた。ところが連立方程式の単元が終わり、徐々に失速して、「オラオラ、そんなもんかぁ?!」と数学になぶられた。最終的に証明の単元で「分かりきってること説明させんじゃねーぞ、コラ!」「あ〜ん?分かりきってることなら証明してみろや!」こうして証明(問題)に、数学にフルボッコされて、泣いた。その悔しい悲しい涙を死んだ昆虫にかけても、決して生き返らない。
そして高校に入ってからは、数学をナメないようにビクビクしながら過ごした。そんな過去があったのに、何故大人になると忘れて、やれっかもと思ってしまうのだろう。

布団に入ってから、つまらなかった中学時代のことをたくさん思い出した。忘れたいこと、思い出さなくてもいいようなこと、人物を。なんでこんなに覚えているのだろう、色んなことを。小学生の時、落し物箱の消しゴムや鉛筆の匂いを嗅いで、誰のものかわかった。その匂いさえまだ覚えている。匂いで誰の落し物なのか分かることを当時は隠していた。落とした本人が自分のものだということを忘れて、「これ俺のじゃねえよ」ということもあった。私は心の中で「お前のものなのに!お前の匂いがするのに!」と何度思ったことか。
いつの間にか眠たくなって、横で寝息を立てている息子にすりよった。
息子からふわっと虹の香りがした。それは柔軟剤やシャンプーなどから出ているものではない。子供にしか出せないかすかな夢のような香り。どこからこの香りが出ているのだろうとクンクン探っても探り当てることが出来ないのがこの虹の香りだ。いつまでこの虹の香りを嗅いでいられるのかなあ。

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