語彙力と感覚の話

40過ぎると色々老化現象がくるよ〜?!と聞いていたけれど、私はどこか自分にはそんなにこないものだと思っていた。理由は私が二女だから。
なんじゃその理由は?!と思うかもしれないけれど、私は小さい頃、父から「お前は早生まれだから覚えるのが遅くても仕方ない」だとか、姉からいつも「妹」として扱われていたので、(当たり前なんだけど!)どこか自分が老いないような感覚があったのだ。ところがやっぱり私も、40を過ぎると視力が低下したし、飛蚊症もどんどんひどくなっている。
飛蚊症はわりと若い頃からだったけれど、自分の眼球を動かすと一緒についてくる、古い映画の端っこにある糸みたいなものがついてくるから、それが少し面白くてそんなに気にはしていなかった。

自分の感覚についてだが、みんなそれぞれ自分にしかない感覚があると思う。自分にある感覚はみんなにもあると思っているのは大きな誤解で、あー違うんだ〜という発見がふえていった。
その中の感覚の1つが霊感であって、あとはなんだろう。数字からイメージされる食べ物だったり、食べ物じゃないものに、〜の味がすると思うことだったり、自分にとって当たり前のことだから拾って書くのは難しいけれど、最近気づいたことは、自分の語彙力の無さ!語彙力の無さには薄々気付いていたけれど、違うんだよ!歳をとって、あ〜あの言葉が出てこない!というのもあるし、こういう時なんていうのかな、みたいな事ってあるじゃないですか。
いつもいつも、姉ならなんて表現するのかなと思うんですけど、毎回姉に聞く訳にもいかないから、頑張って考えてはみるんですけど、どうしようもない時がある。それで気がついたのですが、私は言葉というよりも、ある場面や感覚でそのことを残していることが多くて、だから言葉に変換ができないって言うのもあったのかもな!と。
たとえば、「初めて海外の口紅をつけて、その匂いを知った時の気持ち」とか、「ある人の発する声から嫌悪と諦めと小さな怒りの音がしたのに気が付いた時の気持ち」だとか(声に人格のようなものが乗っているし)、「家の匂いとその人が飼っている犬のにおいが混ざっている記憶の写真」だとか、上手く言えないけれど、そんなふうに場面やにおいや音、雰囲気で捉えている事が多くて、なかなかそれらを言葉に変換できないのです。
こういうことを過去に他人に話したことがあるけれど、「なにそれ」としか言われなかったので、自分の気持ちを言わなかったり(言えなかったり)して過ごしていた。
姉にはこういうことを言っても、本当に全て理解してくれたり、うまく言葉にしてくれたり、似たような場面を喩えてくれたりするから、そうそうそう、それそれ!っていうふうになって、会話が続くのです。
感覚で全てものを話してもいいよ、ってもし言われたらどんなふうに自分が話すのだろう、と考えてみたけれど、その場面さえうまく言えそうもないなと思うことが多くて、結局その頭に浮かんだ場面を描くしかないと思うこともしばしばです。
一年一年歳を重ねて、どんどん色んなことを忘れて、(本当の意味での)語彙力もないのにオラどうしようって思うんです。頑張るしかないけどさ、それでも何とかさ。
姉は、その感覚の話をすればいいのにと言ってくれるのですが、当たり前のことを言葉にすることも難しいし、したからってなんなんだ、とも思ったりもするし、だけど今日はこんな自分の感覚を書いてみようと思えました!
もっとうまく表現できたら良かったのですけど、感覚のことを言葉にしてみようと思っても、あまりに場面や数字、ひらがなやカタカナが出てきてしまって難しいと判断しました。そのひらがなやカタカナを繋げて言葉にするんだよ!と思うかもしれませんが、その場面のイメージのひらがながたとえば「ひ」だったりすると、「ひ」だよね、それって。
と言うしかなくなるので、諦めることにしました。
いいんだでも俺、こんなでも·····。
(今の気持ちはメロンとセロリとすいとんの味です。)


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