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だからわたしは、猫飼いがうらやましい

 野菜の揚げ浸しを出すと、レシピを教えてと彼はうれしそうに言った。こんな単純なものに? と疑問だったけど、料理の苦手な人は「大抵レシピ教えて」という。味の予想そのものができないのだ。調味料の組み立てができないのだ。お気の毒である。
 塩気と甘み、油脂が合わされば大抵のものは美味しい。そこに出汁や肉魚が加わると最強。その証拠に、ティッシュの天ぷらは美味しいと、テレビ番組で実証していた。ティッシュの天ぷらをつくり、何も知らないゲストに天つゆで食べさせる。あんまり趣味の良いやり方ではないけれど、おいしい、ふつうにおいしいとゲストは口々に言った。それを伝えると、彼はそんなのありえないと言う。うん、そうだよね。でも味の予想がつくひとは、ティッシュの天ぷらも、まあ「おいしい」だろうなあと想像できる。粉と油と天つゆの味。天ぷらは中身がなくても美味しいものなんだと、料理ができる人は知っている。知ってて天ぷらを揚げている。
 主夫の彼は毎日の食事の支度に、冷蔵庫にある材料の名前をたよりにまずレシピサイトを開く。味の予想がつかないから、どんなレシピでも毎回新たな気持ちで料理にのぞむ。そして成功した完成品に毎回新鮮に感動する。昨日は肉じゃがで、今日は親子丼なんだと得意そうに彼は言う。インド人は日本人が醤油とみりんを使うように、カレー粉というか、スパイスを使うらしいよ、だから毎日カレーだねと茶化したけど、ちっとも伝わなかった。彼は料理が終わるまで鍋の中がどんな味になるのかわからないらしい。

 料理の味の予想ができなのは、毎日が刺激的だろうと思う。


 もうひとつ睡眠薬を飲んでおこうと、彼女は錠剤のシートをぱきぱき折りながら面倒そうに言った。睡眠薬を常備しているということは、自然に眠りが訪れない体質か、はたまた精神的な病を抱えているか。眠るにも体力が必要で、年を重ねるごとに眠りが浅くなる生理現象もあるらしいので、睡眠薬を飲んでいるからといちがいに「病気」とは判断できないけれど、薬の力で睡眠を取るのは、やはり体が健やかさを欠いている状態なのだろう。彼女の手元には、睡眠薬とは別の薬らしいシートも見える。病なのか習慣なのかわからないけれど、そういえば、彼女は嘆きや愚痴が多い。
 どうやら悩みも多いらしく、水のグラスを天井に向けながら、この間は本意ではない相手とセックスをした、どうしたらよいかとけだるそうにでもちょっと楽しそうに嘆いている。悩みなの? そのグラスをどこかに掲げるポーズがなんだか滑稽で、それはそれでこちらも楽しい。
 なんていうか、セックスは好きだけど、他人のセックスの話にはさほど興味がないので、そのあとだんなさんとした? あ、したのか。じゃあそれならもういいんじゃないと適当に答えておいた。どうしたって彼女は過去も未来も嘆くのだから、こちらも適当でいい。きっと彼女は薬では治らない。愚痴も死にたい思いも物語に昇華できれば、文学になって語り継がれるかもしれない。

 眠れないのは、とてもつらいだろうと思う。


 夜更けに買い物に出たら、マンションの駐車場の車の中でキスをしている人たちがいた。暗い駐車場だけど、角度によっては車内がけっこう目立つ。車の中にいれば、外から見えないと思ってるよね。とくにカップル。
 男か女かもわからないけど、ふたりは確かにキスしている。リアルなキスシーンなんて久しぶりだったので、離れたところから、ちょっと立ち止まって見入ってしまう。車の中のキスっていいよね、ミスチル。なんて考える。今、目の前の光景はちっとも隠れてないけども、きっとキス真っ最中のふたりは隠れている気でいる。というか、この世界に彼らはふたりきりだきっと。いまどきだったらキスの歌はどんな歌があるんだろう。恋愛ばなれとか聞くけど、キスもしないのかな。キスはしたほうがいいのに。
 頭をおさえたり、頬や顎を掴んだりしているふたりを眺めていたら、タイヤのうしろに白い尻尾が動いた。猫がいる。
 暗がりの猫は近づくと逃げるので、腰を落としてじりじりと近寄っていく。これじゃまるでキスをのぞきにいく人だけど、ひとのキスより猫が好きなのでしょうがない。白い猫かと思ったら、よく見ると薄茶色の猫だった。思いがけず猫は逃げずにこちらを観察したまま。と、思ったら寄ってきた。なつこい。足にすりついてくる猫はいいね。甘えているんではなく、においをつけてるんだっけ。
 おでこをごしごししても逃げなかったので、ひょいと抱き上げて、キスカーのルーフに置いた。猫はボンネットにトトトンと降りてどこかへ行ってしまった。キスカーの中のふたりはびくっとして唇を離した。いいねふたり揃ってびくっとするの。オーガズムみたい。同時のオーガズムなんて味わったことないけど。めるへん。

 車の中でキスできるのっていいなあと思う。

 
 ただ日記を書いているだけなのに、まるで猫随筆だった。猫を飼う友人のブログをのぞくと、いつもにやにやしてしまう。
 猫のいる生活をしてみたいが、家人に猫アレルギーがいるので叶わない。家人は猫好きなので、押し通せば猫を迎えられるかもしれないけれど。実際、家人の実家には猫がいた。家人が中学生の時、学校から帰って玄関ドアを開けたら猫がちょこんと座っていたという。親が足の悪い保護子猫を引き取った話、それは家人得意の語り草で、それを何度も何度も聞くたび家族だなあと愛しくなる。
 家人は実家を離れるまでは猫と暮らしていて、アレルギー発症は一人暮らしを始めてからだと聞いた。実家に猫がいる間、家人は実家へ泊まれなくなった。猫アレルギーの人は、猫と一緒に暮らせば耐性ができるという情報、あれは本当なのだろうか。本当だとしても、猫よりも家人が好きなので、慣れるまでのしんどい状態を黙って見守れる自信がない。
 だから友人の綴る日記を読み読み、猫のいる暮らしを楽しむ。仕事でパソコンを使おうとすると、なぜかモニターの前に寝るらしい。宅配便がきてダンボールがあくと、必ずと言っていいほど一度中に入って確かめるらしい。3LDKの家の中で、半日顔を合わせないことがあるらしい。

 猫がいる暮らしって楽しいだろうなあと思う。

 猫飼いが綴る日常の文章は、猫を飼えない側に書けない文章なのだ。   
 

   だからわたしは、猫飼いが羨ましい。




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