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「運動脳」


 子供の頃、海で溺れて死にかけた事があります。救ってくれたのは、漁船の上から放たれた、なにげない祖父の一言でした。その一言がなければ、私はわずか13年程で人生が終わってた事になります。

 本の内容そっちのけで私の体験談を話させてもらいます。みなさんは「死」を感じるほどの体験をしたことがあるでしょうか?口にはよく、「死にそう」などなげく事はあるでしょうが、本当に死ぬとは思っていないはずです。しかしながら私ははっきり言い切れます。死ぬ一歩手前でした。なぜそう思うか?それはある現象が起こったからです。

 中学1年の夏でした。祖父の漁船から海へ飛び込んで、サザエやウニが獲れる岩場へ泳いで向かっている時の事でした。みんなが順調に泳いでいるのに対し私だけがかなり遅れてしまいました。というのも、私は自分の身の丈よりも長い釣り竿を背負い片手で泳いでいました。水泳は習っていないにせよ、普通に泳げるし運動はできたほうなので、あれぐらいの距離なら片手でも余裕と思っていました。これが大誤算というか、過信・軽率・驕りでした。腕が疲れ、スピードがみるみる遅くなり、前に進まなくなったと思ったら、最後は身体が沈んできて、頭の中で「死ぬかも?」と思った瞬間に「助けてー!!」となりました。何度も叫んでだつもりでしたが、声はか弱く、先を泳いでいるみんなは気づきません。その時でした。更に私の中で死を決定づけたある現象が起きました。

 それは生まれてから今までの場面が、コマ送りで目の前に流れ始めました。「これが、死ぬ前は今までの事が走馬灯のように思い出すというやつか!」走馬灯を見て人生を諦めた瞬間、今度は後悔の念で「くっそー。くっそー。」とひらすら今までに出した事のないとても大きな感情で悔やみ続けていたのを覚えています。

 人生を諦め、悔やみ続けていた時でした。祖父が船の上から私の異変に気付き、訛のある言葉で言い放った何気ない一言。
「持ってる釣り竿離しんさーい。」でした。
「何?・・釣り竿?」左手を見ると凄まじい力で釣り竿を握りしめていました。
「溺れる者は藁をも掴む」。その通りです。こんな力で掴んでたら絶対に泳げません。言われた通り、釣り竿を離せば後はすいすい。みんながいる岩場に余裕で辿り着きました。たどり着いてもみんなには、死を感じた事は言えませんでした。もし祖父の言葉がなかったら、十中八九釣り竿を握りしめたまま海に沈んでいたでしょう。

 この体験から今になっていくつかの事がわかりました。箇条書きにすると、
1、たまにTVで見る水難事故。溺れている人を助けに行った人、ほぼ全員亡くなっている→溺れる者に、ものすごい力でしがみつかれる。私の場合も、もし誰かが助けに来ていたら、しがみついて一緒に命を落としていた。

2、溺れている人を助けに行ってはいけない→誰かに知らせる。道具を用意する。生死がかかる緊迫した状況に、自分の身ひとつで近づいては絶対にいけない。

3、人間は死が頭をよぎると普通ではいられない。バニックになる→落ち着いて行動。冷静に対処。平常心。そんな言葉を知っていたところで何の役に立たない。ピンチな時に必要な事は、冷静な行動や、一瞬たりとも無駄にしない行動ではない。一瞬を無駄にするつまらない行動。

4、人間は、不運や悪い行いが2つ3つ重なると簡単に命を落とす。→それは自分の得意分野でも同じ。むしろ得意分野が危険。

5、バスケやバレーボールなどのスポーツの試合で劣勢に立たされた時などにするタイムアウト。休憩、水分補給、監督の言葉、選手を鼓舞する。正直なところ、やったところで大きく戦況が変わることはないと思っていた。→内容関係なく、やっただけで大きな効果あり。もうひとつの見えない効果。それはプレイを止める事。浮足立っている、地に足が付いていないなど、良くない状態である事をプレイしている選手本人が気づいていない場合がよくある。本当に悪い状態とは、本人が悪いという事を自覚をしていない事。必要な事は、良い状態に持っていく前に、まずは普通の状態に戻してあげる事。その為には、動きをやめる事。

6、うつ病患者の自殺を大きく食い止める一言。「眠れていますか?」→悪い状態である事を気づかせてあげる事。

 ここでやっと「運動脳」の本について触れますが、この本の中では、とにかく運動が良いと書かれています。少しハードル高めですが、30分以上の有酸素運動を週3回と書かれていました。「運動」はうつ病にも絶大的な効果があり、抗うつ剤の薬剤治療同等もしくはそれ以上の効果があるようです。

 数年前、職場がある大阪府高槻市で、高槻市営バスの側面にとても大きく、「ねむれていますか?」と吹き出しで書かれた文字がラッピングされ、町中を走り回っていました。障害福祉課からのメッセージでした。うつ病などの精神疾患のある方で調子が悪そうな人がいたら、そのように声をかけてほしいとの呼びかけでした。その一言で、うつ病患者の自殺が大きく防げるとの事でした。さすがに理由まではバスにラッピングされてませんでしたが、私も障害者支援に携わっている身として、推測してみました。
 うつ病とは、躁うつ病とも言います。躁(そう)はとても元気な時、うつはとても気分が落ち込んで沈んでいる時。この波を繰り返しますが、自殺をする時は沈んた時ではなく躁(元気)の時です。この時は眠らなくても平気で、周りからみても少しおかしな状態のはずです。会話形式にするとおそらくこんな感じです。
「調子良くなさそうやけど、最近眠れてる?」→「眠れてないけど、めっちゃ元気やから。体もよく動くし、眠らなくても全然平気やで。」→「元気なんは良い事やけど眠られへんのはまずいから、病院行ったほうがええよ。睡眠薬でももらったら?」→「えー。そうかなあ。」
 ここで病院に行ってくれたらベストですが、かりに行かなくても「そうかなあ。」と思ってもらえただけで、少し普通に戻っている気がします。

私の体験談やタイムアウトのところでも書きましたが、1番良くない危機的な状況は、「自分が普通ではないという自覚がない事。」だと思います。
 ピンチの時にそうならないために、もしくはそうなった時に、自分を取り戻す方法として、「一瞬を無駄にするつまらない行動」と書かせてもらいました。この意味は、バタバタと動き回っている自分のプレイを自ら止める術です。ピンチになればなるほど止まれないんです。なので、ピンチの時はこうするみたいな、ルーティンを決めてるのが良いかなと思っています。いつでもどんな場面でもできる簡単な事。私は、とりあえず見たままを、口に出して関西弁で突っ込もうと決めてます。「なんで俺が溺れてんねん!」、「俺の事はほったらかしかい!」、「釣り竿じゃま!」。次溺れたらやってみます。
 
 また「運動脳」の本の内容から脱線しましたが、運動の良さは、言うまでもないですが、ただ単に身体を鍛えるだけではなく、読書と同様で、行動範囲や自分の幅を広げる事だと思います。
 ジョギングや公園で運動する為に外に出る。身体が引き締まり、良い身体になる事で自身がつく。服が似合うようになりファッションに気遣いオシャレになる。オシャレに気遣うようになった事で外出するようになる。行く店が増える。などまだまだたくさんあると思いますが、運動をする事で外に出る場面が増え、人に会う機会が増えるという事がとても良い事ですね。出費は増えますが、自分への投資だと思いましょう。
 うつ病の方にも、運動とセットで内にこもらず外に出て人の目に触れるという事が、病状を改善する大きな役割があるように思います。

著者のアンデシュ・ハンセンさんが、「スマホ脳」・「最強脳」そして「運動脳」の3部に渡って、「何よりも運動が良い!!」と教えてくれました。 もし普段全く運動をしない方は、この本を読んで、運動の素晴らしさを知り、運動への一歩を踏み出してはどうでしょうか?
安心して下さい。0から1はなかなか進みませんが、一歩踏み出せば五歩ぐらいまですぐ進みますから。

レッツ,トレーニング!!


 






 
 

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