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ちまたの贈与経済

贈与経済という言葉が、内田樹さんの本に載っていた。
神田の古本まつりで出会ってから、最近は内田さんの本を読み漁っている。


贈与経済というのはなんだか聞こえのいい言葉だが、実際意味はよくわかっていなかった。
田舎特有の「持ってけ持ってけ」と大盤振る舞いであげたりもらったりするあれのことだろうなあと思っていた。

内田さんの本には、贈与経済は他人からもらうことから始まると書かれていた。
他人から何かをもらう(してもらう)ことで、自分もそれに返さないといけないという気持ちが生まれる。
ここで生まれたやり取りが贈与経済だと。

だから、「目に見えるすべてのことがメッセージ」と思える人は、贈与であふれた人だと書かれていた。
たとえば、太陽の光も、太陽からエネルギーを分けてもらっていると感じられる人は、それを無駄にしようなんて思わない。
食事に行って、目の前に出された料理を見て、これを作ってくれた人がいて、食材を運んでくれた人がいて、食材を育ててくれた人がいる、と感じられる人は、食べものを粗末にしたりしないし、美味しく食べた後には感謝の言葉を述べるだろう。


秋田に来てから仲良くしてくれるおじいさんおばあさんは、例に漏れずいろんなものをくれる。
ちょっとイベントの手伝いに行くと、余ったおかずや野菜や漬物など、その後数日は暮らしていけるくらいの食材をくれる。
本当に損得勘定のない、優しい人たちだなあと思うのだけど、「こんなにもらってばかりで申し訳ないです」と言うと、彼らは「来てくれてうれしいから」と言う。
もしこれをはばかりなく真に受けるならば、私は無意識のうちに「何かしてあげた」ことになるのだろうか。
ただ遊びに行って、話をしただけだけど。
無意識に人に何かでき、それがまた別の何かを呼ぶのであれば、それは素晴らしいことだ。
物々交換とも違う、気持ちがつなぐやり取り。
交換というと一時的なもののようだが、贈与経済は次々とつながっていく感じがする。


どれだけ多くのメッセージを受け取れるか。
もらったりあげたりすることを当たり前とは思わず、それでいて暮らしに根付く文化として、大切にしたいと思う。

「もともとは自然がくれた恵みだから」と、とったものも気持ちよく分け合える、そんな人になりたいと思った。

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