見出し画像

ボディイメージとボディスキーマの視点を整理する

梅雨時

湿度が高くて、体がだるい~と思っている方も多いかと思います。
まさに、私たちは環境との相互作用の中で日々過ごしている。

先日、マツコの知らない世界で、アーティストのKREVAさんが、万年筆の話をしていて、その中で「ゆらぎが~」と言っていたのですが、地球上に存在するすべての存在は「ゆらぐ」ものなのだと思います。

今日は、先日ヨガジェネレーションさんのYoutubeでアップされた動画の補足をしたいなぁ、、、と思い書いています。

動画の中で、私たちは「ボディイメージ」を持ち、そして同時に「ボディスキーマ」もある、、、という話をしました。

ボディイメージは身体イメージ。
ボディスキーマは身体図式。

Youtubeという短尺でお話をしたので、話の根幹を捉えられていないところもあり、ある種、誤認を生んでしまうかもなぁ、、、と思ったので、少し補足したいと思います。



動画の中で、「自分自身を捉えるうえで、自分の中のざわざわをどう解釈をするのか、それがボディスキーマ(身体図式)という言葉にまとめられる、、、」という説明をしています。

これは厳密にいうと、どの角度から話をするかによってはちょっと拡大解釈と受け取られる危険性もあり、言葉の整理をしてみたいと思います。


まずボディイメージという言葉を考えてみると、それは心理学でも使われるし、身体運動にも使われます。

心理学エリアでいうボディイメージというのは、「自分の体に対する認識(想像・妄想含む)」であり、文化的な背景や自己の観念などにも影響を受ける。

身体運動におけるボディイメージと言うのは、「自分の身体部位・全身のつながりの認識」という事になる。

つまりは、心理学で使うボディイメージと、身体運動におけるボディイメージというのは少しだけ異なる意味合いを持つ。

Youtubeの中で話していた、ボディイメージというのは、心理学的な側面と身体運動の両方を明確に区別をしないで話しており、そこに付随してボディスキーマという言葉の説明がされている。


その前提を整えたうえで、「身体運動」におけるボディスキーマを段階を追って説明をしていきたいと思います。


① (身体運動における)そもそもボディイメージとは?ボディスキーマとは?  参照 田中彰吾 運動学習におけるコツと身体図式の機能 バイオメカニズム学会誌, Vol. 37, No.4 (2013)

ボディイメージ(身体イメージ)(身体像)は、神経科学、認知科学、心理学、精神医学など幅広い分野で用いられている言葉です。

(身体運動における)ボディイメージとボディスキーマの主な3つの違いがある、と、田中彰吾さんの論文ではまとめられており、

ボディイメージとボディスキーマの主な3つの違い その①
対象性。ボディスキーマが自覚(Awareness)を伴わないで機能する感覚運動システム。ボディイメージは自己の身体を対象とする認知で、心像(イメージ)を伴うと書かれており、

つまりは

ボディスキーマは意識の外(非意識)で
ボディイメージは意識である、ということ。

例えば、習慣化された動きは、「ボディスキーマ」を元に非意識下で環境との相互作用の中、予測を元に動きが起こっていくが(例えば、家の階段を上り下りするとか、ドアを開閉するとか、、、)。

が、習慣化されていない、または複雑さを増す動作になると、体の特定の部位や全身に意識を向けて、そこに「ボディイメージ」が存在することで、複雑な動きを行うことができる。


ボディイメージとボディスキーマの主な3つの違い その② 
人称性。これまた難しい言葉ですが、誰がそれを動かしているのかという認識の度合いと言えるのでしょうか。主体はどこにあるのか、、、。

ボディスキーマの場合、それらは意識ではないところ、隠れたところで動作のために機能調整をしているものを示しているので、自分が体を動かしているという感覚は含まれない。(が、理解が難しいのは、ボディスキーマなくして、運動主体感:Sense of Agencyは成立しないと考えられていて、自分が意識の元、体を動かしているのではないが、その動きを経験をしている主体としての私はボディスキーマがあるから存在として成立するという考え方)


一方、ボディイメージは、「私の身体」として対象化して意識するという要素を含んでおり、ボディスキーマの「運動主体感」よりは、「身体保持感:Sense of Ownership」と密接なかかわりを持つと考えられている。


つまりは、私の身体がこういう状態で存在しているという意識的な要素がそこにはある、ということ。


ボディイメージとボディスキーマの主な3つの違い その③
空間性。ボディスキーマは、他との物体との関係で決定されるような相対的な位置を持たず、主体(その人)そのものが経験の起点として「ここ」という特殊な位置性を帯びている。(身体中心の空間座標)

つまりは、私の身体という空間存在の中で関係性が成立しているという事。

これは、道具により拡張身体の話をするときにキーとなる。

例えば、よくプロゴルファーや料理人など、道具を扱う人を見たときに、「まるでゴルフクラブが腕そのもののように見える」「まるで包丁が手の一部であるかのように」などという表現をする。

それは、私たちの身体が道具を持つことで、ボディスキーマを拡張(身体図式の拡張)が起こったことで、「そこ」にあった道具が、「ここ」という存在になった。(私たちは自分の体の外にあるものを「そこ」にあると表現し、自分の体の中・側(身体の一部として認識している所)にあるものを「ここ」と言うイメージですかね)

ゴルフクラブという物体を初めて持った時、それは自分の体の一部ではなく、外部のものとして認識されると思うが、練習を積むうちに、ゴルフクラブは体の内部の一部として取り込まれ「ここ」にある、「ここ」を動かしているという体性感覚の拡張がおこる。


一方で、ボディイメージは、実在的な視点であり、想像上の視点であれ、自己の身体を外部から対象化する視点とともに成立する。外部にある他の存在との位置関係によって認識されるので「そこ」という位置づけとなる。


と、難しい言葉の羅列になりましたが、身体運動の獲得においては、
ボディイメージが存在し、同時にボディスキーマが背景で働くことで、環境に適応した動き(アフォーダンス)が起こる。


で、Youtubeの中で、「人は自分の中で起こっていることを解釈をして紐づけてそれを記憶する、、、」的な話をしているのですが、この話の中で使っている、ボディスキーマと言うのは、上で説明したものを拡張した考え方となる。


Youtube内で語っているボディスキーマ(身体図式)の意味合いは、その人が環境との相互作用の中で、体性感覚(深部感覚、触覚)からの感覚刺激で得た情報だけでなく、そのほかの様々な感覚から得た情報を紐づけたものを含んでいる。


そしてそれは非意識としても意識としても存在していると考えている。


このあたりは、アントニオ・ダマシオの話と、メルロ・ポンティの時代からの話など、様々な側面から、「知覚行為循環」という側面で、環境の相互作用への適応しながら存在する「個」の今を考えると、こういう意味合いを持つのではないか、、、という語りになると思う。


 

この文章を書くために、いくつか論文や資料を読んでみましたが、参照としてあげた田中彰吾さんの文章で、素敵だなぁ、、、と思った一文があったのでシェアします。


「運動学習のコツをつかむことは,心・身体・環境を運動行為という一本の糸で結ぶことである.学習が成立すると,ある環境の知覚が,その環境に対処するのにふさわしい行為を喚起する」


「心は,身体と環境のあいだで展開される,知覚-行為の循環のなかに見事に溶け込んでいる.」


はぁ、なんとも壮大なる人間の不思議。


動作学そして実践としての動作教育の探求の道は、まだまだまだまだ終わりが見えない。けど、確実に成果を出せる状態にはある。


先日のA-Yoga認定者のみんなとの合宿でも、誰もが変化を感じ、誰もが勝手に快適な体へとなっていった。

大事なのはそうさせるのではなく、「勝手にそうなる」という状況(設定)を作り出すこと。


理解するまでは大変だけど、体感したらその存在を無視することはできない。


さてと、、、お話の補足になったかわからないけど、、、何か考えるヒントになればうれしいです。


ちなみに次回のヨガジェネさんでの「ヨガ動作学」のオンライン講座は、7月2日らしいです。(らしい、、、、って、講師は私なんだけどね、、、)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?