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女性とスポーツ現場

暑中お見舞い申し上げます。

京都は祇園祭も無事に終わり、本格的な夏を感じる今日この頃。

海が大好きな私は、海に行きたい〜、海のそばに住みたい〜、そんな事を考える季節です。

さて、以前にもnoteに書いた、私から見たら若手という表現になっちゃうかもしれないけど、業界的には中堅女性トレーナー達の女性トレーナーのキャリアパス、女性トレーナーの発展サポートを考えたトークライブの2回目が開催されるそうです。

今回はゲストに私もよく知る、そしてラボのご近所に鍼灸院「ゆまにて」を構える安東由仁さんが登場します。アスレティックトレーナーとして現場で走り回った数年。そして幼稚園児の息子さんを育てながら、自分の活動を続ける今。その年月で考えたこと、起こったこと、様々なお話が出てくるのでは、、、って思います。

学生さんは無料、社会人1000円、そしてチップインも大歓迎のようですので、ぜひご参加申し込みいかがでしょうか?


そしてその会を主催する、平井晴子さんがInstagramもスタート。
WIS(Women in Sports)と名打って、女性トレーナーも未来を創造するスタートをきっています。


とにかく思いを持ってそれを行動に移す。そのエネルギーをみんなも感じれるのではないかと思います。


アメリカをベースで働いていた私にとって、女性だからトレーナーを続けるのが難しい、、、と思った事は一度もありませんでした。同時に私はそもそもスポーツ現場でずっと働く気がなかったから、きっとモノの見え方も異なっていたかもしれません。

ただもしいつか結婚する事がある場合、「私はどうしたいのか。」それを考えて自分の行動を考えていた部分はあります(25歳ごろからかなぁ)

晴ちゃんの投稿に、よく聞かれる事、よく聞く話として、

知り合った学生さんや女性トレーナー、SNSのダイレクトメッセージで「結婚のタイミングが難しいです」「妊娠出産でキャリアを諦めないといけないですか?」「現場でやり続けるのは難しい」などの声を聞くことが多いです。

と、書かれていました。

あー、ありそうな質問だよね、、、と思うと同時に、この質問の奥にあるその人の思考はどういう状態なのかを考えます。

裏を返すとトレーナーとして働くと、
「結婚時期を自分で選択する事ができない」と感じているのかもしれないし、

「妊娠や出産とトレーナーとしてのキャリアは両立ができない」と感じているのかもしれないし、

「男性であれば現場継続ができるけど、女性は難しい」と考えているのかもしれないし、、、。


同時に、この質問にどう答えれば彼女達は納得感を得るのだろう、、、と考えてしまう。


私は基本ひねくれ者なので、社会一般に言われていることは、自分には当てはまらないと思っている。

と言うか、社会一般って何?
誰にも当てはまることなんてそもそもあるのか?と思ってしまうタチなので、この質問をされたら、「で、あなたはどうしたいの?」と聞き返す気がする。


誰かはそうだったかもしれないけど、あなたがそうなるとは限らない。

誰かがそうであったように、あなたもそうなれるかもしれない。

どちらを自分が決めるかはあなた次第、、、と。


こう言う話をすると、「それは〜さんだからできるかもしれないけど、わたしには、、、。」「そう簡単ではないですよね。」と返ってきたりする。

「自分でそう思うなら、じゃ、そうなんじゃない、、、」

そして「簡単が自分の生きる選択の基準なら、自分が簡単と思うものを選べば良いじゃん、、、。」と、、、。冷たいようだが、そうしか返しようがない。


ここできっと彼女に必要なのは、「決めきること」であって、「わからない誰かさんの通ってきた道を見て、誰かさんの意見を鵜呑みにして、自分の将来をそこに照らし合わせる事ではない。」そう思う。

難しいかどうか、簡単かどうかは、やってみたらわかる。
やらずして誰かが大変そうだから簡単じゃない気がする、、、と言ってしまったら、人類は月には降り立っていなかった。

そしてもう一つ思うのは、継続し続けたもの勝ち、みたいなことも十分にある。

50代
現役でトレーナーとして人の体を見ている

それだけで、ただ続けてきただけで、私はある種、得なポジションにいる気もする。

50代、更年期の女性の気持ちがわかるトレーナーさん誰かいない?ってなった時、親世代の気持ちがわかる女性トレーナーいない?ってなったら、ただ続けてきた特権で私が重宝がられたりする。(が、愛想ないので岩戸を閉めていること多いですけど、、、)

続けてみたらわかるよ、、、と。
あとはどう続けたいかを自分でもよく考えること。


女性として(そういう表現は今どき適切ではないけど)、人として生まれてきたからには、そこには人類学的なのか進化論的なのかはわからないけど、恋に落ちて結婚して家族を持つと言うものが人類継続の種の保存としての役割を持つ生物として標準装備されていて、オプション的に恋に落ちない、結婚しない、結婚して子供を持たない、家族を作らない、結婚しないけど子供は持つ、異性を好きになる、性を変えるとか色々なオプションがある、そんな風に考えると、私たちは生まれた時から、この標準装備の存在を知っていて、25歳になったから急にその標準装備がアップルウォッチばりにアップデートされた訳ではない。

何が言いたいかと言うと、職種に限らず、わたしたちはずっとこの標準装備の選択を行使する事が目前にあり、「働く事で社会に貢献する」と言うことと、標準装備を同時進行する事が必要になってくる。

もちろん、歴史的背景、組織的構造と慣習により、すぐに望み通りの環境にはならないかもしれない。でもそれは自分が直接動かす事がすぐにできない事であり、そこを想像して「もしかして」「だとしたら」「やっぱり、、、」と自分のコントロール外のことを考えて時間を過ごすよりも、「私」がコントロールできる「私」のことをもっとしっかりと見つめる時間をとってみてはどうだろうか、、、と思う。

その時の問いは、
私はどう生きたいのか、、、。

キャリアが大事なら、キャリアを大事にする為の戦略を考えれば良いし、両立が重要なら両立の戦略を考えるだし、子育てに集中したいなら、子育て集中戦略をとれば良い。

人生において、絶対的に優先順位が動かせないことは出てくる。
その時に自分がどう柔軟に物事を考えられるか、そしてその時にどれだけの協力者を得られるか。

個人的に子育てするスタッフ達を見ていて、そして病院で働きながら子育てをする妹の甥っ子を見ていて、子供でいる時間は本当に短い。もう来年はきっとこんな風に膝に乗ってこないのかも、来年は名前を呼んでくれないかも、一緒にスイカ買いに行く!って手を握ってくれないかも、、、と思うこともある。

キャリアも大事だけど、そんな貴重な時間は我々の人生の中で限られている。
自分にとってなにが今いちばん大事なのか、それはその時になったら思うことかもしれないから、わからない段階で決めなくてもいいのではないか、、、と。

全ての経験と時間にはプラスの要素があり、現場を離れる事がマイナスばかりではない。その時間が帰ってきた時の自分の大きな価値になることもある。


ただその前提条件として言えるのは、今を全力でやりきる事ができているか、、、だと思う。

どうしよう、どうなるんだろう、不安しかない、、、、そんな気持ちで仕事に向かっている人を、また戻ってきてほしいと思う雇用主は少ないはず。

少なくとも私は他の人を考えると思う。

「やりたいんです!」
「やらせてください!」
そういう姿勢に価値があると思うし、その情熱は様々なものを動かす力を持っている。

知識や経歴や学歴は常に自分よりも上の人がいる。
そこで争ったところで、常に自分が劣っていることを自覚させられるだけ。

勝負はそこでするのではなく、「これが好き!」「これがやりたい!」「あなたと仕事がしたい!」そう思わせるあなた自身の在り方でする方がいいと思う。


上に紹介した活動を通して発信する彼女達の言葉に答えはない。
答えを求めて参加をするのはやめた方がいい。
彼女達が提供してくれるその貴重な時間は、対話を通して「私はどう思うのか?」を見つめ対話する時間にしたらきっと各々の未来が見えてくるのではないかと思う。

決めること
決め切ること

そこに自分の行動が伴えば、叶わない事などない。



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