見出し画像

「セミナーはコミュニケーションである」を考える

世の中、様々なコミュニケーションの方法がある。


自分の考えを発信する方法を通したコミュニケーションにも、様々な方法がある。


インターネットが主流となる以前の時代には、手紙や書簡があったし、電話もあった。きっともっと太古の昔には、煙を焚いた狼煙(のろし)によるコミュニケーションもあっただろうし、現代に近づくとともに書籍や講演、座談会(女子会なんてものも出てきたけど)などというものが、コミュニケーションの方法となっていった。


インターネットが主流となった今、様々なSNSが情報、自分の考えを発信するコミュニケーション方法となっている。


セミナーもコミュニケーションの一つと常に思っている。

多くの人が、セミナーは「学びの場」ととらえているかもしれないが、私にとっては第一に「コミュニケーションの場」。その結果の一つとして学びがある。


オフラインもオンラインもセミナーをさせてもらうたびに、「なぜ私はセミナーをするのだろうか、、、」と考える。決して得意ではない、人の前に立って話す、一定の内容をテーマに合わせてまとめて話すという苦手なことをなぜあえてするのか、、、と考える。


そんな時、私はセミナーを通して、情報の伝達だけをしたいわけではない、、、と常に思う。というか、情報の伝達であれば、ほかにいくらでも素晴らしいコミュニケーションツールがあると思うし。


コミュニケーションという言葉を調べると、「社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達」と書かれている(Wikipedia)

コミュニケーションには、他者の理解と自己の理解、そして情動的な共感といったものも含まれる。そこには常に双方向の交信があり、双方向での働きかけが存在する。


「答えは一つではない」

動作学のポッドキャストで何度も出てくる言葉だけど、私がテーマとするセミナーの内容の多くが、「答えがない答えに気が付く」、「唯一無二の存在」、「一人一人が考えるその答え」を探すことを問いかけることが多い。


私たちは環境によって生かされている。

私たちは環境に影響を受けて日々生きている。

異なる環境の中で、全く異なる影響を受けてきた私とあなたの答えが一緒である訳がない、とも思っている。


答えはその人の中にある。


その答えを見つけるヒントをセミナーというコミュニケーションを通して問いかける、それが私ができることだと思っている。


理路整然と情報を整理できる能力があればいいけど、どうやら私にはその能力はないということをだいぶ前に受け入れたので、とにかく人の頭の中に今までと違う風や匂いや流れを送り続ける、そんな存在が一人いてもいいじゃないか、、、と。


意味不明なものを、意味不明と感じることの大切さ。

意味不明なものの中に、なにか意味を見出すことの大切さ。

整わない中に見つかる、新しい気づき。

そこから偶然的必然が生まれるのだと思う。


どんなコミュニケーション方法をとったとしても、一つだけ必ず共通したものがそこにはある。

あなたがいるから私がいる、ということ。


誰かの心に残ったのであれば(情動的共感)、それで十分、そう思える日々を大切に過ごしたいと思う。


7月12日(日)10時~12時に、オンラインレッスンを実施するということを通して考えるオンラインセミナーをさせていただきます。今回はGRIT NATIONさんの主催・企画で講師をさせていただきます。


オフラインとオンラインの感覚的な違いをベースに話を展開していきます。

同時に、レッスンの価値についての考えも皆さんと対話したいと思います。2時間という時間に収まるか、今のところおさまってないので、本番までもう少し熟考し整理します。よかったらぜひ!









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?