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漫文駅伝特別編『矢文帖』第1回「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ(講談社)森合正範」について 如吹 矢ー

お笑いコンビ「昨日のカレーを温めて」のおもしろさがわからない。

昨日のカレーを温めては元々同じ事務所の後輩で「みんなのおさむ」と「だれかのやす」の二人で構成されたコンビだ。
誤解して欲しくないのだが、彼らはおもしろい。
事実、私はいつも彼らが語る不幸話に腹を抱えて笑っている。
ただ、彼らのおもしろさが何なのかわからないのだ。

先日、某打ち上げがあり、彼らは予定よりだいぶ遅れてやってきた。
聞くと、辺境で開催された祭で司会の仕事をやってきたとのこと。
辺境ならではの、ずさんなスケジュールを浴び、想定より長時間の労働、最後の抽選会でようやく仕事が終わると肩を撫で下ろすやいなや、抽選会の景品が大量にあり、腱鞘炎になるほどクジを引き続け、いつまで経っても帰れなかったらしい。
彼らはその祭に向けてグッズを製作。
コンビ名にちなんでレトルトカレーを大量発注したが一食も売れず、20キロの大荷物を担いで帰ったという。
彼らの頭の中には賞味期限という時限爆弾のタイマー音がカッチカッチと鳴り始めたことだろう。

昨日のカレーを温めてにはCoCo壱番の時に不幸のルウがよそわれる。
クミンならぬ苦民。
そんな状況を引き当てる彼らはボンではなく非凡なのか。
私はおもしろくて仕方ない。
しかし、こうやって書いたところで彼らが目の前でエピソードを語るおもしろさには及ばない。
彼らは独特の空気感で不幸話を語る。
それは取り繕うような雰囲気の語り口なのか。
話している最中のどこか怯えとふてぶてしさが入り混じった表情なのか。
大体、なんでずっと額にうっすらと汗をかいてんだよ。
とまあ、こう並べてみても彼らのおもしろさを的確には伝えきれていないだろう。
私は彼らの魅力を文字ではククレないのだ。
形容詞を言語化するのは難しい。

な~んてことを考えたのは森合正範著「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ」(講談社)って本を読んだからなのね。
井上尚弥はめっちゃ強いボクサー。
検索したら動画出てくるから見てみ?強いから。
ボクシングの試合ってちゃんと見るの難しくない?普段関心がない人がみると、強さとか技術とか勝敗って分かりづらいと思うんだよね。
常に得点が出てるわけでもないしさ。
けど、井上尚弥は普段関心がない人がみても一目で強いって分かる凄さがあんのよ。
でも、それってなんでなん?

東京新聞運動部で記者をしている著者は日本ボクシング界史上最高傑作といわれる井上尚弥の試合を取材するたびに、井上の持つ強さ、凄みをあますことなく表現できるのか、井上の力が突出しているあまり噛ませ犬と闘ったように書いてしまわないだろうかって恐怖に襲われるんだって。
30年以上ボクシングを観続けているのに「井上の強さが何かわかっていない」とか本音吐露しちゃってさ。真面目だな~。
で、著者はどうやったら井上尚弥の強さ、凄さに迫れるのか悩んだ結果、編集の人の助言もあり、井上と対戦した人を取材したらいいじゃん。って考えに至るわけ。
たしかに闘ったことある選手なら井上の凄さを身をもって体感してるからリアルな話聞けそうじゃん。
この本は井上と対戦した10人の選手の取材がベースになってんのね。(対戦してないけど取材を受けた人がもう1人いるんだけど後述すんね。)
ただ、井上尚弥は2023年11月時点で全戦全勝。パーフェクト。
ってことは対戦した選手って全員負けた人ってことなのよ。
負けたボクサーに話聞くのって気まずくない?井上どうだった?やばかった?って気まずいっしょ。
でも、それを著者やっちゃうのね。
話を聞くためにメキシコとかアルゼンチンとかまで行っちゃうのね。やばくね?海外の選手なんか機嫌損ねて殴りかかってきそうじゃね?そこはまあうまくやるんだけど。
そうすると、井上の凄さもわかってくるんだけど、対戦相手も命懸けで怪物と闘ってるから、恐怖とか覚悟とか、それぞれの話がすごく心に刺さるわけ。
過去にスパーリングでボコボコにされたけど試合に臨む人、致命傷を心配する奥さんの必死の反対を押し切って立ち向かう人、負けを糧にその後、世界チャンピオンになる人とか。興味深くてページペラペラよ。
井上尚弥の凄さに迫ろうとした結果、その闘いに挑んだ敗者も光って映るわけよ。著者さすが。
普通、負けた試合を語るって嫌なことだと思う。だけど井上尚弥との試合は皆、長時間話してくれたんだって。あんな怪物と闘ったこと自体が誇らしいのかも。
井上が対戦したアルゼンチンの選手でオマール・ナルバエスっていう名チャンピオンがいるんだけど、戦前の圧倒的有利の予想を覆されて井上にKO負けすんのね。
あまりの意外な結果にナルバエス陣営が「おい!井上!グローブに鉛仕込んだだろ!」って試合終わりに詰め寄るくらいだったんだけど。やばいよね。
その試合を当時9歳のナルバエスの息子がリングサイドで観戦してたんだけど、まさかの父親KO負け。大号泣。
だけど、それと同時に「ナルバエスの名前をここで終わらせたくない。自分もボクサーになろう」って決意すんのね。
その息子、ナルバエス・ジュニア・アンドレスは現在18歳。今ボクシングでユース世代のアルゼンチン代表選手なんだって。
これってもしや将来、井上尚弥のとこに父の敵討ちにいくんじゃねえの?ってな想像が膨らむよね。なんだか期待しちゃうよね。で、その未来の対戦相手かもしれない息子にも取材してんのよ。著者ニクイね~。
胸熱過ぎてレトルトカレーの箱を2つ重ねたくらい厚い本を一気に読んじゃった。
そんなわけでこの『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』はおもしろい。

怪物に出会った日  井上尚弥と闘うということ(講談社)
森合正範


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