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漫文駅伝特別編『矢文帖』第5回「ヤーレンズと、心は折れない(廣済堂出版)」如吹 矢ー

心が折れる音を聞くまいと耳にイヤホンを無理矢理突っ込んでやり過ごしていたりする。

先日、私の十数年来の友人であるヤーレンズのM-1グランプリ2023の決勝進出が決定した。

ヤーレンズは出井隼之介と楢原真樹の二人で構成された漫才コンビで二人共、私と同い年。
お互い大阪で活動していた時からの付き合いだ。

芸歴が1年後輩の出井とは一時期大阪の街でよく飲み歩き、同期の楢原とは同志として長い時間を一緒に過ごした。

しかし、今ではお互いの活動範囲も変わってきて、ほとんど会うことはなくなった。
そう、川崎麻世とカイヤのように。

出井とはたまに街中でばったりと会う程度で、楢原とはお互いの誕生日の時期に食事をするという、築年数の古いマンションの理事会くらいの頻度でしか顔を合わせていない。

それでも私は、彼らがまず目標にしていたM-1の決勝進出を毎年強く願っていた。
それは、会っていなくとも彼らがM-1にかける並々ならぬ思いはこちらにひしひしと伝わってきたし、何より友人だからだ。

彼らとの付き合いは2009年頃から。
そう、小向美奈子がストリップ劇場で再起を図った年だ。

当時、出井はコンビを解散したばかりで焦りと諦念が同居しているような雰囲気で、楢原は別のコンビ組んでいて友達がいなかった。

金もなく仕事もない我々は、大阪の大国町にある同期芸人のシェアハウスに夜な夜な集まってなんとなく交流を深めていった。

出井は社交性があって、楢原には無かった。

楢原は当時周りの誰も持っていなかったiphone3GSを持っていた。楢原よりスマートフォンの方がコミュ力が高かった。

私はテレビでしか見たことのない機器を持つ楢原に話しかけ、部屋の隅の方でゲームのアプリをやらせてもらった。

画面上に1から25の数字がランダムに並んでいて、それを順番にタッチしてタイムを競うという、当時導入されたばかりのタッチパネルを生かしたごくシンプルなものだった。

その日、私はボクシングで培った持ち前の反射神経を生かして、楢原よりも早いタイムを叩き出した。

それから数日経って、再び楢原とそのゲームをやると、自宅でやり込んだのだろうか、先日の私の記録を遥かに上回るタイムを彼は簡単に出せるようになっていた。

私はその努力に若干の気味悪さを感じ、やると決めたらとことんやる、という彼の性質を垣間見た。

これまで同期の芸人との接点があまりなかった楢原は何かを変えたいと思っているように見えた。

実家に暮らしていた楢原は大国町の同期のシェアハウスに住むことになった。

劇的に変わった環境と人間関係に強いストレスを感じているように見えた。適応するのに苦労している様子が伝わってきた。

そこから逃げるように私や当時の私の相方である服部の家に入り浸ることもあった。

しかし、彼のやると決めたらとことんやる性質と我慢強さを駆使してどうにか適応していった。

しばらくして、楢原が前のコンビを解散して、後輩の出井とコンビを組むことになった。
楢原の中であらかじめコンビの大まかなビジョンがあり、それに出井が乗っかった形だった。

結成して1年ほどでTHE MANZAIの認定漫才師50組に選出されるなど、わりとすぐに調子が出ていた。

しかし、当時の二人の仲は決して良いわけではなかった。
元々、そこまで関係の深くない先輩後輩同士であったし、私の目から見て二人の性質は全く違った。

そんな中、コンビは仲が良い方が強いと考えていた楢原は出井との距離をどうにか縮めようと躍起になっていた。

半ば無理やり二人で長い時間を過ごし、共通点や共感を探っていた。
私には思い出を養殖しているようにも見えた。

当時、出井はそれをストレスに感じていたように思う。
楢原のやると決めたらとことんやる性質が悪い方向に作用しているようにも感じた。

二人の関係は時間をかけて探り探り構築されていった。

2014年の同時期に上京した。
楢原と不動産屋を回り、お互い近い地域に住むことになった。

上京してすぐに彼らはとにかく色んなライブに出て、顔を売っていった。
年間300本以上のライブに出演しては結果を出し、ライブシーンで着実に知名度を上げていった。

この時期からあまり会うことはなくなったが、彼らの共通の目標であり、関係を保つ要因がM-1の優勝であることがより明確なものとなってきているように見えた。

彼らはM-1の予選で何度も跳ね返されていたが心折れずに食らいついていた。
M-1のために年間たくさんのライブに出続けていた。気の遠くなるような努力だったと思う。

M-1の舞台に一歩でも近付くためにライブ以外にもあらゆるアプローチをしていた。
楢原の髪型と衣装は年々、妙なものになっていった。

同じタイミングで上京した私のコンビは解散した。彼らは挑戦し続けた。

楢原とはお互いの誕生日の前後に会う習慣は残っていたが、彼の誕生日はM-1予選の佳境に入る時期なので年々誘えなくなっていった。
彼らの努力が実を結ぶことを陰ながら祈った。

そして今年、行きつけの居酒屋のカウンターでM-1決勝進出者発表の配信をiphone13で見た。

一組ずつ発表される中、一番最後、ランダムに振り分けられた四桁のエントリーナンバーと共に彼らのコンビ名が呼ばれた。
その瞬間の彼らの表情や反応を見て、彼らのこれまでの道程が喚起されて涙が出た。

楢原はやると決めたことをとことんやり続けて、出井はいろんな我慢と努力を重ねたのだろうと勝手に想像してさらに涙が溢れた。

店員さんがグラスを大きいものに変えてくれた。

翌日、楢原に祝福の連絡を入れた。
彼から「折れずに続けてよかったよ。」と返信があった。

この一言に尽きると思った。本当に良かった。

彼らのM-1優勝を祈る。


「心は折れない」内山高志(廣済堂出版)

一見、順風満帆に見える人でも実は過去に耐え難い屈辱を味わっていたりする。

この作品は元WBA世界スーパーフェザー級チャンピオンとして日本歴代3位となる11回連続防衛の記録を樹立し「ノックアウト・ダイナマイト」の異名を持つボクサー内山高志氏の自伝である。

高いKO率で連戦連勝、無敗で世界チャンピオンになった内山氏もボクシングキャリアの序盤であるアマチュア時代は挫折の連続だったという。

学生時代、部活動でボクシングをやるとどうしても上下関係が生まれてしまう。年齢や学年で生じるのはもちろん、強さや結果で上下関係が形成される場合もある。

のちに世界チャンピオンはこの時期、試合のメンバーにも選ばれず挙げ句の果てに同期の部員の荷物持ちをさせられていたらしい。

その生涯忘れることはないであろう屈辱を原動力に黙々と努力を重ね続け、来る日も来る日も死ぬ気でサンドバッグを叩き強靭な肉体と精神力を手にいれた。

それでもなお、日々悩みもがき苦しむ様子が本書には懇々と綴られていて胸に迫るものがある。

努力が絶対に報われるわけではないが、心折れずに執念で実を結ばせた男の姿がここにある。

「心は折れない」(廣済堂出版)
内山高志

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