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来し方、行く末。

仕事が、無い。

いよいよ本気で身の振り方を考えなければいけない状況のようだ。
いや、もうとっくにそんな状況になっていたのであって、ただたんに、俺自身がそれを認めたくなかっただけ、なのだろう。
まったく、いったい「なに」にこだわってきたのか。
いや、その「なに」だって、本当は自分でわかりすぎるくらいわかっているのだろうけれども、それを言葉にするのはもう少し先のことにしたい。

ただひとつだけ、俺はべつに、「先生」と呼ばれる立場や職業にこだわっているわけではない。

「なんか仕事ないかねぇ~」などとぼやいていると、よく、学習塾の講師の仕事をしたらどうかとすすめられる。

まぁ、出来ないこともないかもしれない。

俺は19歳の時から、アルバイトとして20年以上、「いわゆる塾講師」をやってきたから。
まぁまぁ、もう何年も業界から離れているから、今、学習塾という存在をめぐる状況がどうなってるかは全く知らないので、始めたとしてもしばらくは苦労するだろうがね。

ところで「いわゆる塾講師をやってきた」なんて妙な表現をしたことには、理由がある。

19歳の頃に塾講師のアルバイトを始めることになったきっかけは、よく覚えている。
高校三年の冬、大学進学が決まった俺は、中学時代に熱心に通っていた学習塾に挨拶に行った。中学時代は、想えば、これまで生きてきた中で最も勉強した時期のひとつだったかもしれない。なぜそんなに勉強をするようになったか、理由や原因のすべてを想い出すことは出来ないが、ひとつには、まさにその学習塾という「場所」があったからだ。
そんな場所だから、進路が決まって高校卒業を目前にした節目に挨拶に行こうと思い立ったのは、自然なことだった。
そこで、塾長と再会。ひとしきり挨拶や進路報告などが済んだ後、塾長がひとこと。

「中畑、お前、ここで先生やらないか?」

この誘いを、俺は断った。

その時に俺が言ったこと、たしか、

「俺、『先生』なんて呼ばれるガラじゃないっすよ。」

さんざん世話になった塾長という「先生」を前にして、こんなこと、よく言えたものだ。
まぁ、ガキだったんだろうな。

だがしかし、たしか高校の卒業式が終わってしばらくした後、俺はまた、その学習塾を訪れることになる。
詳しいことは書けないが、ある日、都内でどうしようもない自己嫌悪に陥るような「事件」を、俺は起こしてしまったのだ。
地元、つまり千葉県の柏市まで帰る電車の中で、そんな事件を起こしたことを、当時の俺はガキなりに心から反省し、自分を嫌悪した。消えたいとさえ想ったような気がする。そんな俺が、電車の中で下したひとつの「決意」、それは「こんなことをもう繰り返さないために『まともな人間』として生きてゆこう」ということ、そして、今にして想うとなぜそんな発想になったのか謎なのだが、もしかしたらその学習塾での塾長先生の誘いが頭だか心だかのどこかに残っていたのかもしれない、「まともな人間」になるために「先生」と呼ばれるような立派な人間になってみようか……柏の駅で電車を降りた俺は、その足で真っすぐ、その学習塾へと向かった。そして、

「塾長、俺、やっぱり先生やります!」

この時から塾長先生とは、彼が今から4年ほど前に50代の若さで亡くなるまで、実に20年以上にもわたって、長い長い時間を、一緒に過ごすことになる。

当時は、ちょうど時期的に、春期講習会が始まる少し前、すぐに研修が始まった。春期講習会の間は、教室の後ろの方で他の先生たちの授業を見学しながら。
こうして、大学の入学式を迎える前に、つまり、大学生になるよりも前に、俺はいわゆる「塾講師」になった。いや、正確にいえば、俺は「その学習塾の先生」になった。

そう、20年以上、俺はいわゆる「塾講師」を続けたのではなくて、「その学習塾の先生」を続けてきたのだ。

10代前半の中学時代に「生徒」として過ごした「場所」で、20年以上、「先生」として生きてきたのだ。

「どこの塾で講師をやったって塾講師は塾講師だろ?」
まぁ、普通はそんな風に考えられるんだろうな。だが、俺にとっては違ったし、今も違う、俺はあくまでも「その学習塾の先生」として生きてきたのだ。

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