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来し方、行く末。2

仕事が、ない。
だが俺はこだわって仕事を選んでいるわけではない。
たとえば、俺はべつに、「先生」と呼ばれる立場や職業にこだわっているわけではない。

19歳の頃に、かつて自分が学んだ学習塾で先生のアルバイトをしないかという、一度は断った誘いを引き受ける気になったのも、当時は「先生」と呼ばれる人たちが社会的に「まともな人間」だと、漠然と想っていたからだ。

当時の俺がそんな風に想っていたのは、多分、時代的な背景があってのことだ。

俺は1971年生まれ、いわゆる第二次ベビーブーム世代に属する。同世代の子どもたちがやたらと多かった世代だ。ちなみに俺が通っていた中学校は1学年につき15~16クラスあり、どのクラスも生徒が40人以上はいたと想う。俺の学年の卒業生は600人を超えていた。

おまけに、俺の地元の千葉県柏市は、典型的な東京のベッドタウンだった。そんなこともあってか、公立中学校はやたらといわゆるマンモス校が多かったように想う。

多すぎる生徒たちを相手に、学校の「教師」たちは、理不尽な校則と官僚的な態度で、いわゆる管理教育をすることになる。そして、素直に管理されない生徒たちには、体罰という暴行が待っていた。そういった学校の「教師」たちの多くは、生徒たちにとって、不満や不安や恐怖の対象、そして退屈で面倒くさい「大人」の象徴でしかなかった。

そしてまた、高校に進学しようとすれば、非常に厳しい受験が待っていた。なにしろ子どもの人数が、つまり受験生の人数が、とんでもなく多いのだから、競争は厳しいものになる。だいたい、「受験戦争」などという言葉があったほどだ。そうして、多くの中学生たちが、学習塾に通うことになる。俺も、例外ではなかった。

今も昔も、学習塾で「先生」と呼ばれる人たちは、大学生や大学院生のアルバイトが多いのだろうか、俺自身がそうであったように。

しかし、俺が中学生だったころ、大学生や大学院生たちは、今よりもずっと、たとえば中学生たちにとっては「遠い存在」だったように想う。今、たとえばいわゆる個別指導塾のテレビCMで描かれるような、大学生のアルバイトの先生と生徒とのたがいに親しいかかわり方とか、俺が中学生だったころには、考えられなかったな。

当時の学習塾は、中学生たちにとって、親や学校の「教師」といった「大人」たちとは「違った大人」たちと出会える場でもあった。

そして、多くの学習塾という場所で、当時の中学生たちは、勉強だけではなく、親や学校の教師といった「大人」たちには教えてもらえないようなことを教えてもらうことができたのだが……おっと、これについては、なぜ今回、俺がこのエッセイを書こうと想ったのかという理由ともかかわることなので、いずれ詳しく書く。

ただ、ここでひとつだけ言っておくと、俺が中学生時代に通っていた学習塾もまた、俺にとってはそういう場所だった、ということ。だから、その場所で「先生になる」という塾長の誘いを引き受けた以上、俺自身も、中学生時代の俺にとっての先生たちと同じような存在に、同じような「大人」にならなければいけないと、研修に参加しながら、一応、そういう覚悟を胸にしたものだ。

だがしかし、「塾の先生」という存在が、塾長の誘いを受ける決意をした19歳の俺がなりたいと想っていた「まともな人間」などではないことなど、その塾で授業を担当して「先生」と呼ばれ始めた頃の俺は、すぐに気づいた。当時、俺が受け持っていた生徒たちにとって、俺がどんな存在だったのか、今となっては確かめようがないが、少なくとも俺自身としては「学生」と「先生」の「二足の草鞋(わらじ)」、つまり、どっちのあり方としても中途半端。中途半端さに応じて、高尚な想いを抱いていたこともあるし、どうしようもない俗物であることもあった。

そして、そんな中途半端さは、もしかしたら20年以上にもわたって、今も続いているかもしれない。

いよいよ実の振り方を本気で考えなければならない。
だからもう、そういう中途半端な存在であるわけにもいかないわけだ。
だからこそ、俺はべつに、「先生」と呼ばれる立場や職業にこだわってはいない。

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