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私の万年筆遍歴

近頃は、文章を綴るときはほぼパソコンやスマホばかりで、筆記具を使って手書きすることはめっきり少なくなってしまった。そんな中、いまだにデスクの一角をしっかり占めて、存在感を見せているのが万年筆だったりする。手書きする機会が少ないからこそ、そのときには一番気に入っている筆記具である万年筆を使おう、という気持ちになるのだろう。

最初に万年筆に触れたのは、大学に入学したときだったと思う。入学祝いに、叔父から万年筆をいただいたのだった。海外製の銀色のものだった。最近になって、これが一体何だったんだろう、と思って調べたところ、フランスの筆記具メーカーであるウォーターマンのグラデュエートというモデルだったらしい。

2008年撮影。当時持っていた万年筆を並べたもの。左から順にセーラーのハイエース、ウォーターマンのグラデュエート、モンブランのマイスターシュッテック146、モンブランのマイスターシュッテック145クラシック・ボルドー。

いろいろな機会に筆記具をいただくことはあるのだけれど、その多くは一度も使わないまま、そのうち処分してしまう、という運命を辿ることが多い。筆記具は道具だから、自分の手に馴染むか馴染まないかがはっきり出る。手に馴染まない道具は、いつまで経っても馴染まないままであることが多いのだ。

ところが、この頂き物の万年筆は違った。大学生の間、講義のノートをずっと万年筆で書いていた。講義の途中でインクが切れて書けなくなったことも、通学途中でインク漏れを起こして筆箱がインクまみれになったこともあったような記憶がうっすらとある。それでも使い続けたのだから、道具としての万年筆に何か惹かれるものがあったのだろう。

そして、万年筆熱から醒めないまま、社会人になってすぐに運命の万年筆を購入した。モンブランのマイスターシュッテック146。万年筆界隈では有名な最高級万年筆である。当時どういう感想を持ったかは記憶にないのだが、いまだに最も自分の手に馴染む万年筆であり、使う回数も最も多い。当然デスクの万年筆エリアの一番真ん中に陣取っている。

今から考えると、よくこのときに購入したなあ、と、つくづく思う。購入したのはおそらく1990年代半ば。手元にあるのは1980年代製造のものであるらしい。1980年代のマイスターシュッテックはニブの柔らかさがまだ残っており、自分にとっては、書いているときに適度な硬さと柔らかさが感じられる。絶妙なのだ。この後、モンブランのニブはいわゆるガチニブという方向になっていくようなので、仮に今、現在のモンブランを手にしていたら、きっと失望していただろう。


あれから約30年。万年筆愛好家の例に漏れず、その間、いろんな万年筆を買ってみて、しばらく使って、お蔵入り、というのを繰り返している。買った万年筆は両手に収まるくらいだし、そのうち半分くらいは1,000円前後のものだし、と言い訳をしつつ、あまり成長できていないのも事実。

そんな中、昨年、モンブラン146と並んで一生ものにするつもりで、一本の万年筆を購入した。パイロットのカスタム742、フォルカンニブである。

2023年撮影。パイロットのカスタム742、フォルカンニブ。

万年筆を使うときには、ほとんど筆圧をかけず、さらさらと書く。だから、好みの万年筆は自然と、ニブが適度にしなり、書いた時の感触が柔らかいものになる。そんなわけなので、パイロットのフォルカンニブは以前から気になる存在だった。とはいえ、絶対エースのモンブラン146がいまだに問題なく使えている現状で、もう一本、エース級の万年筆を手元に迎えて、出番を作れるのか。だいぶ悩んだ末にお迎えしたのである。

よくフォルカンは「毛筆のよう」と形容され、筆圧をコントロールして線幅を大きく変える使い方が強調される。けれど、そんなことをしなくても、普通に字を書くと微妙に線のニュアンスが出る。その微妙さこそ、フォルカンの本来の魅力だと思う。スミ利文具店さんが書いている意見に賛成である。

万年筆は不思議とカメラを向けたくなる道具で、ふとした瞬間に手元のカメラで撮った写真が結構残っている。中にはもう手元に残っていないものを写した写真もある。ささやかながら、自分の辿ってきた万年筆遍歴を感じさせてくれる。これからもやっぱり、時々は新しい万年筆をお迎えしつつ、写真で遍歴を残すことになるだろうし、それが楽しみでもあったりする。

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