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【元外交官のグローバルキャリア】バイリンガルになるための読書、日記、書写【今日コレ受け】

バイリンガルとなるには三種の神器がある。読書、書写、日記である。

ほとんどの人は、これをやらない。

セミリンガルという言葉がある。多言語話者ではあるが、どの言語も年齢相応に使えない話者を指す。満足に音読や朗読できない、文章を作成できない、難解なことを理解できない。たまにバイリンガルやトライリンガルでそういう人に出会う。伝わらない熟語を英語で言い換えても「何それ、知らない」となる。

母語での認知理解の確立

やはり、何をおいても母語の確立は一番大切だと思う。母語でまず認知学習能力を磨くこと。それをしないと後々苦労する。母語で物事を理解し、自分の考えや思いを言語化できること。できればそれを口頭だけでなくて読解力や文章能力につなげたい。

帰国子女と日本語習得

かくいう私も、母語の習得には努力を強いられた。
5歳でドイツに引っ越し、周りに日本人はおろか外国人さえほとんどいない環境でドイツの公立学校に通った。
平日はドイツ人の子供たちと肩を並べて、家に帰ると家族では日本語だ。妹とも基本的には日本語だが、現地の友達と一緒だと二人の会話もドイツ語で合わせる。その内家で二人だけで遊んでいるとドイツ語になっていった。それでいて私は、日本語に不自由ない気でいた。

読み聞かせと読書

読書をさせることには積極的な家庭だった。母の読み聞かせから始まった。少し大きくなると、定期的に届く偕成社の絵本を自分で読んでいた。日本昔話100選、岩波文庫の本もたくさんあった。
週に一度、日本語補習校に通っていた。そこの図書館でも毎週本を借りた。3ヶ月で百冊目標を「ドラえもんの道具辞典」も含めて達成した。この読書量からもしても、自分の日本能力を疑う余地は無かった。自信と実力は必ずしも正比例はしないが子供の自己効力感は大事だ。

ディクテーション

ドイツの学校ではアルファベットを覚え、文字を書き、授業で先生が読み上げた文章をノートに書きとる。ディクテーションというのは書写同様に効果的だ。今私がこれを自分が学習中のフランス語でやれば、フランス語の聞き取りと文章作成が格段に上手くなるだろう。

三行日記に絵日記

日本語補習校では毎週「三行日記」を提出した。毎日書かなくても、少なくとも1週間分を書かざるを得ない。教科書の書写をした時期もあって、それは苦痛でたまらなかった。

夏休みや冬休みは、日本の小学生同様に絵日記が加わった。無理やりでも定期的に書かされるから力がつく。上手に書けているかは別として、日本語で文章を書くことに抵抗はなかった。読むのも、話すのも日本育ちより劣っていると思ったことがなかった。

「上手くなった」日本語

日本に帰国して、両親と地元の小学校に挨拶に行った。校長室で教頭先生が怪訝そうに「日本語は喋れるんですか」と両親に向かって聞いた。立ち居振る舞いからしてガイジンな子供だったのだろう。親が答える隙も与えず、「しゃべれます」と言い切った。

その一年後の夏休みに妹二人でドイツに「里帰り」した。ドイツで習っていた日本人のピアノの先生のお宅に泊めてもらった。会う早々先生に「くーちゃん日本語うまくなったわねえ。」と言われた。「前からうまいけど」という言葉は飲み込んだ。

天声人語の書写

中2で再度父が海外転勤となり、インドネシアのインターナショナルスクールに入った。日本語補習校がない環境で、日本語に向き合う時間は少なかったが、相変わらず日本語に自信があった。日本語で読書は続けていたし、高2では受験に備えて小論文を週に一度個人レッスンで受けていた。
卒業して日本で大学に入ると、日本育ちの同級生は無遠慮に私の日本語を直した。ゼミのレジュメを書いても、私の文章は簡単だからすぐに書いた箇所が分かる、と叔母に言われた。

中学生の時に、日本での受験を控えてた友人に「天声人語を書き写すといいよ」と教わった。
ほとんどの人同様に、いまだにそれをやっていない。

「頼むから、書けるようになってほしい。まず、美しい日本語に毎日触れてください。天声人語でも編集手帳でもいい。毎日手書きで書いて。お願い。頼むから、やって」と伝えた。彼女は、「やります。天声人語を毎日2つ書きうつします。約束します」と言った。

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