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No.11/自習という寄り添い

こんにちは。
子どもたちの伴走者”くのてつ”です。

昨晩は中学生の男の子とオンラインセッションでした。何をやっているか、というと特にテーマはありません。第三の大人としてその子に寄り添う、伴走する、そんなことをやっています。子どもの伴走者として、まさにその言葉通りの実践の場です。

S君(=昨日のセッション子)とはかれこれ半年程の付き合いになります。1〜2週間に1回、セッションをしています。セッションは60分で、この時間は基本的に何をやっても自由です。自分とS君とはひたすら話をしていることが多いですね。

昨晩も年末年始どうしていた?的に会話をしていたのですが、S君が話の流れでこんなことを話し出しました。「僕、3学期から本気で勉強にチャレンジしたい」との宣言で意表をつかれました。何せ彼は勉強が好きではなく、エンジンがなかなかかからないタイプでしたので。

そこで自分はチャンスだと思い、今日の60分は自習時間にしようか?と提案するとS君はノリノリで(笑) 残り時間の45分は各々で勉強する時間をすることになりました。

S君は数学のテストが近いため数学のドリル、自分は読書。終わったら進めたことをレポートで発表しよう、ということにして自習をスタートしました。若干これでいいのかな、とは思いつつ、鉄は熱いうちになんちゃらってやつですね。

実際に驚いたのは、S君が45分間かなり集中していたことです。声をかけても気づかないレベルでガンガンドリルを解いていっていました。結果オーライだな、と思いつつそんな姿勢から自分も学ばせてもらいました。

やってみるか!

ますはやってみよう、と実際にやってみることが重要ということです。もちろん何も考えない無計画な行動ではありません。狙いを持ってやってみると、良くも悪くもフィードバックできる要素が必ずあります。思いもよらぬ引き出しを引くことになるかも知れません。これもまた一興。

一種の拘束力的寄り添い

一人ではなかなか続かない、やる気にならない。これは人間の性、特に年齢が下がるほど律するのは難度が高い訳です。そこでオンライン上ですが、監視役的な存在としていることで、勉強へのスイッチが入れらる可能性があります。よく朝活なので活用されているようですが、このオンライン活用はとても有効だと感じました。

伴走する形に正解はない

どんなアプローチでも正解はありません。もちろん相手の反応が悪い、薄いなどネガティブな要素はありますが、そもそもテーマのない付き合いです。だからこそ、100人100通りのやり方があっていいんだな、と再認識できました。

一応サービスを提供している側は自分なのですが、いつも感じるのは逆に子どもたちから自分が学びを得ている、ということです。本当子どもたちってすごい・・・先生そのもの。

まだまだやらねば!


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