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世界はあるべき姿で自分を包んでいる

 仕事やめたいなと思っていたのだけど、そうこうしているうちに部署を異動することになり、おまけに副主任になるんだそうだ。
 話があったのはつい先日で、働いている老人ホームの夜勤の入りの日だった。
 仕事やめて好きなことしてやるんだ。異動のはなしがきたら断ろう、と思っていたのに、私はその二日後「がんばります」と返事した。
 仕事をがんばりたいわけじゃない。ただ仕事を辞める方向にがんばれなかっただけだ。
「がんばります」と答えたくせに、これでよかったのかなと悶々とした。いつだって正しい答えをほしがる私のくせだ。
 だけど、どうやら私の潜在意識はこれでいいらしい。
 小さな顕在意識の私が見上げるのは、大きな潜在意識の私。
 顕在意識は小さな体でさけぶ。
「ねぇ、やりたいことやりたいよ。今の仕事やめてさ、好きな絵とお話かいて暮らしたいよ」
 潜在意識は、涅槃像のように横たわり言う。
「今のままでいいよ、だって安心だもん」
 それを聞いてきーっと金切り声をあげて顕在意識は地団駄を踏んでいる。
 そんな情景が目に浮かんだ。

 世間では、やりたいことをはじめている人が何人もいる。
 私は口ばっかだな。
 興味がある分野、やってみたいこと、発表してみたいこと。けっこうあるのになかなか行動できない。
 本当にやりたいことって、何もしないことなんじゃないかと思えてくる。
 やりたい、やめたい、あれが欲しい、あれがいらない、動きたい、でも動きたくない、グルグル考える。
 くらい森をひたすら迷っているみたい。
 あれもこれも足りない、すべてそろえなければ。

 そんなことを繰り返していたらあるとき、飽きた。
 考えすぎて飽きた。どの表現が適当か迷ったが、たぶん考えつくして飽きたんじゃないかな。

 結局のところ、たくさんのものを持とうとして持てなかったから、とりあえず荷物を降ろしてみた、と言ったかんじだ。
 荷物をおろしたら身が軽くなって、あんなに欲しかったものが、今はそんなに必要じゃなかったのかもしれないと思えた。

 今はくらい森ではなくて静かな湖にいる。
 湖に入って水底をただよう。水面がきらきら光っていて。平和で、世界はあるべき姿で自分を包んでいる。
 ああ、自分は幸せなんだな。
 湖から陸にあがって、なにかしようと思ったから今これを書いている。

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