見出し画像

乗り越えて

私は両親が10年以上の不妊歴の中産まれた子どもでした。

私が、産まれた時、親族一同大騒ぎだったそうです。

健康優良児で今では想像できない程の自分だったのです。

変調が現われたのは、17歳の時。
元々14歳から貧血持ちで、治療していたのですが、何故か、治療しているのにドンドン貧血は悪化したのです。

その上、倦怠感と身体の痛みが酷く、目や口が乾き目薬とペットボトル、鎮痛剤が欠かせない状況になりました。

大学生になり、大学の提携先の病院を訪れたところ、抗リン脂質抗体症候群、シェーグレン症候群、線維筋痛症と判明しました。

治らない病気と共存する…18歳の私には受け入れ難い事でした。

それでも、通院しながら大学生活を謳歌!
大学時代の思い出は素敵なものばかりです。

そして、就活。
負けず嫌いの私は病気を隠し、銀行の総合職を選択しました。

銀行の仕事はとにかくハード!
朝7時には出社し、帰宅は日付変わるころまで。

そんな生活は私に更なる牙を剥きました。
難治性てんかんで倒れ、なんと、ドクターヘリで搬送され、生死の境を彷徨いました。

傷病手当をいただきながら、社会復帰を目指していた矢先、今度は若年性パーキンソン病であることが判明したのです。

そしてパーキンソン病の薬は私の体質に相性が悪く、脱毛症が始まったのです。

社会復帰は夢のまた夢。

毎日、ひたすら泣いていました。

そんな私を変えるできごとが。

Twitterにアップしたリネアストリアさんの、一番お気に入りのウィッグを着けた写真をアップしたところ、村瀬社長が、「嬉しい!」とRTして下さったのです。

私の心がぐっと前を向き出しました。

その後、リネアストリアさんの雑誌「リネアマガジン」に、私がインタビューしてもらうことにもなりました。

そこで、ASPJのMITSUKOさんとmemeさんとも出会い、お二人のキラキラした姿に心奪われました。

そのおかげでカミングアウトが始まりました。

イシヅカマコト氏にウィッグを外した姿を撮影してもらったり、ウィッグを外してイベントに出かけたり。

今、私の身体はけっしていい状態とは言えません。
でも、私は幸せな気持ちでいっぱいです。
若い頃は、それなりに以上に傷つくことが多かった。
でも、今はメンタルが強くなったのか、私の角が取れたのか、すごく生きやすくなりました。

転機は意外と身近なところに転がっているのかも知れません。そして、それを拾うかどうかは自分次第なんだと私は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?