見出し画像

余白の話

考えすぎな…話です、たぶん。
空間演出デザインへ進学し、毎週の課題提出に追われて職業訓練校そのものだった時代。
毎週毎週、図面とパース画を描いて…(紙に手描きの時代だから)
たまの、デッサンの授業が楽しく感じるほどの辛い日々でした。
もう、パース画は嫌いになってしまいました。

教授から沢山のことを教わったはずですが、よく覚えているのは…2つ(だけ?)
・クライアントのニーズを満たすのが、デザインの仕事。(自分の作りたい物じゃダメ)
・パース画の『余白』は、汚れが一切ない美しい白さが大事。
そう、余白です。
中身ではなく、周りの白いところ。
この白さをいつもいつも強調されていらっしゃいました(と、記憶してます)。

私には白く見えるけれど、先生には汚れが見えるんだ…
そう思って 白く見える余白に消しゴムを一周、ゴシゴシ…真っ白いカスが山になっていたっけ。
何だったんだろう?本当のところは分からないままでした。

つきいちレッスンのアレンジ



社会に出て花屋に就職した私は、図面を引くことも無くなったし パース画も必要ない仕事だったけれど、クライアントのニーズを満たす…と『余白』は、納得することが多かったと思っています。

花屋は、花が好きすぎる人が働いているので、自分の好きなモノを作りたいスタッフが作品と商品の違いを履き違えているケースに出くわすことが多く…お客様のための『商品』を作る意識の大切さを感じました。

そして、余白。
先生が伝えたかったのは、花がきれいに挿せるだけではなく 器やその周りを綺麗にすることへの意識が大事だということだったのではないかと解釈しました。
器に汚れが付いたままの商品に気付かないスタッフに 何度も注意をする場面があったから…。

勝手に、私がそう解釈しただけで真意は分からないのですけどね。


筆禅道の作品「花無心」

余白の大切さを「書」でも教わったのですが、正直言って全然分かりません。
6年くらい筆禅道を習いましたが、私には向いていなかったようです。
書は人なり…という教えで、線の質というのを極める学びだったのですが、文字の「カタチ」に意識がいってしまいがちでした。
線の質を褒めていただけても、何が良いのか分かりません…
余白も、何がどうなっていたらいいのやら、分からずじまいでした。
分からなすぎて諦めました。

余白って、本当のところ何が正解なのでしょう?
あればいいってものではなさそうです。
花のことなら分かるけれど、今世で答えが見つかりそうにないモノのひとつが『余白』です。

…プリンターの設定の『余白』にも、ちょっと構えてしまう私です。
ね、考えすぎな話でしょ?

作り直したアレンジ。チューリップが咲いているでしょ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?