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[ことばとこころの言語学・14]プレーボール!行為遂行的なことばの使い方。

道を歩いていたときに、「プレーボール」という声が聞こえてきたら皆さんは何を想像しますか?「あ、野球の試合が始まったんだな」と思い、辺りを見回すと、広場があり野球のユニフォーム姿の少年たちが目に入ってくるでしょう。テレビドラマを見ていて「それでは、手術を始めたいと思います」と耳にしたときは、おそらく病院の手術室でこれから手術が始まろうとする、その瞬間だと思います。しかし、みなさんは横断歩道の赤信号で信号が青になるのを待っているところで「それでは、手術を始めたいと思います」と言うことはできません。なぜでしょうか?

「そりゃ、そんなところじゃ言わない」

そうなんです、信号待ちをしているあなたは、「それでは、手術を始めたいと思います」とは言うことができないのです。この表現が成立するには次のような条件が揃っていないといけません。

発話者は医者であり、手術の主担当であること
場所は病院の手術室であり、発話者の前に患者が横になっていること
発話者の周りには発話を聞く別の医療スタッフがいること
別の医療スタッフは発話者の言語が理解できること
発話の直後から手術が始まること

上の状況の1つが欠けてしまっては、「それでは、手術を始めたいと思います」という表現が不適切な表現になってしまうのです。そう、信号待ちをしている場面というのは、あなたが仮にどんな難局にも対応出来るドクターだったとしても、不適切な表現なのです。

「プレーボール」という表現も、野球の試合を始めるために用いられるものであり、決して食事の時間が始まる時には言いません。つまり、表現には適切さというものと、不適切さというものがあるのです。とくに、何かを宣言したり、約束をしたり、謝罪をしたりする場面では、その表現が成立するための条件が整っていなければなりません。そして、その条件のもとで何か宣言、約束、謝罪をするための表現が用いられた瞬間に、実際に実行される文を行為遂行文、行為遂行的な発話などと呼んでいます。つまり、「プレーボール」といった瞬間に試合が開始され、投手がボールを捕手めがけて投げることになります。

行為遂行的な発話とは、J.L.オースティンという言語哲学者が『言語と行為』という本の中で取り上げた概念です。オースティンの考えをここで簡単に紹介しておきます。「今日は雨が降っています」という文は、雨が降っていれば「真」であり、降っていなければ「偽」であるとし、こうした真偽判断ができるものを事実確認的と言いました。一方、行為遂行的な「プレーボール」という発話は真偽の判断ではなく、適切な場面で用いられることが前提であり、関係のない場面で用いられると不適切になる。つまり、適切、不適切という判断による表現の存在を提示しました。


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