見出し画像

「大切だから、守りたい」想いで続き、想いで繋がる仕事【胎内市・熊倉七瀬さん】

はじめまして。
私は、新潟県内に暮らす大学生です。
いち大学生の私が、くらはたずかんのプロジェクトに参加した理由は、普通に大学生をしているだけでは出会えなかった人たちとの出会いを通して、未だ靄がかかっている自分の将来への考えが、少しでも見えやすくなるヒントを得たいと思ったからです。

胎内市の中条駅から徒歩10分ほどの場所にある、木でできた立派な看板が目印のこちらのお店が、今回私が取材させていただいた「くどうもちや」さんです。もとは明治時代初期から燃料屋を営んでいたそうで、戦後、多くの農家さんから預かった米を餅にしていたことが、もちやを始めるきっかけになったとのこと。今回は、お店の娘さんである、熊倉七瀬さんに取材させていただきました。七瀬さんは、二児の母でありながら、現在は家業と同時に外でも働いています。来年度からは、家業1本に絞るそう。胎内市を出たことはなく、今思えばちょっと出て世界を広げるのもよかったかも、と話す、とても気さくな女性です。

ご自身のご家庭もあるなかで、お店を継ぐことを決意した背景にある、自分の生まれ育った大好きな場所を守りたいという思いが、取材を通して伝わってきました。

不安がある中でも継ごうと思ったのは、商店街が好きだから

うめごん(以下:う):早速ですが、お店を継ごうと思った理由を教えてください。

七瀬さん(以下:七):くどうもちやのおもちを美味しいとリピートしてくださる人が沢山いるのに、後継ぎがいないからとお店を閉めるのは、もったいないと思ったからです。まだまだ継ぐなんて言ったらお恥ずかしい限りですが、今は微力でも手伝いながら、いずれはこの味を覚えていきたいと思っています。

う:継がないという選択肢は、ご自身の中にありませんでしたか?

七:会社員を経験していたため、家庭のことも考えて外で働いた方が安定するのでは、という気持ちももちろんありました。ですが、この土地、商店街が好きという思いから、不安ながらも継ぐことを決意しました。

う:なるほど。現在お子さんがいらっしゃいますが、子育てとお店の手伝いの両立は、中々難しい部分も多いのではないでしょうか。

七:そうですね。自分の今の生活リズムだと、お餅の製造の勉強がなかなかできないので、その点に苦労しています。お餅はカビが出やすいため、菌が下に沈んで寝静まった早朝、まだ菌がまわない時間帯に製造に取り掛からなければなりません。人が動き出すと菌がまってしまうので、早朝が一番良いのはわかりますが、子育てをしているとその時間に出て製造の勉強をするのはかなり難しいことです。現在は両親2人でそれを行っていますが、もし両親になにかあったら、自分は何もできないのではないか…という不安は大きいです。

行動を起こすことは、想いを繋げること

う:ご自身がお店を手伝うようになり、新たに変わったことはありますか。

七:「餅屋の団子」というカップ餅の新商品が加わったことですね。新たに作ったものを売り出したいというより、もともとメインで売り出しているパック餅を手に取ってもらえるきっかけになれば、という思いで考案しました。当初はくし団子に興味があったのですが、くしを刺す手間などを考慮し、カップ餅になりました。カップなら、蓋をすれば雑菌やほこりが付着しにくい上に、イベントに持っていきやすいといったメリットがあります。また、期間限定なども含めいろんな味を出したことにより、複数個買って行かれるお客さんや、若い人の出入りも増えました。

う:今のお話にもありましたが、SNSを拝見させていただいた際に、イベントへの出店に力を入れている印象がありました。

七:周りのおかげでなんとか、胎内市のおまつりや、マルシェなどに出店させてもらっています。最近は、他市町村のイベントに出させていただくこともあります。イベントは、お店を知ってもらえるだけでなく、新たな出会いの場だったり、会いたくても会えていなかった人たちと会える場でもあります。以前はなかなか出店できていなかったのですが、コロナ禍で会いたい人達に会えなくなった時に、みんなに会えるイベントに出店したいという気持ちが強くなりました。また、イベントをきっかけに、本町商店街にお店を構えていることを知ってもらい、商店街の方にも足を運ぶ人が増えてほしいと思っています。

う:本町商店街に活気が戻ってほしい、とのことですが、現在の本町商店街の代謝について、七瀬さん自身はどのように感じますか。

七:衰退する一方だと感じています。他のお店は後継者問題で閉めてしまうことが多く、今から5~10年ほど経ったらほとんど残っていないのでは、と考えることもあります。大好きな本町商店街に人が戻ってくるにはどうしたらよいかと考え、最近は商店街の他のお店と一緒に2月に1回ほど、市(いち)に出るようになりました。胎内市中条には、中条市、通称三八市(さんぱちいち)という、3と8がつく日に開かれる市があります。商店街の近くで開かれている市が盛り上がれば、商店街の活気も戻るのではないか、と考えたんです。結果、自分たちが出店する前よりも市に若いお客さんが増え、元々おじいちゃんおばあちゃんたちが市に出していた野菜などが人の目に触れる機会も多くなりました。また、三八市に一緒に出ていた方が、商店街に店舗をもつようになったりと、少しずついい方向に向かっていると感じることも増えてきました。やはり若い人をもっと受け入れられれば、商店街の活気を取り戻していけると思います。

う:最後に、七瀬さんが考えるくどうもちやの魅力を教えてください。

七:そうですね。冠婚葬祭に必要とされるものを取り扱っているため、人生の大きなイベントに添えるものを作っていることをとても誇りに思っています。笹団子やちまきなど、季節の贈り物にも使ってもらえるため、みなさんの一年に通して関われることも嬉しいです。そしてやはり、かつては胎内市中条のメインストリートだった本町商店街にあることが、一番の魅力です。だからこそ、行動を起こすことで、本町商店街に活気が戻るきっかけになれれば、と思っています。

「好きを仕事に」とは

「好きを仕事に」という言葉を、あなたはどう考えますか。
私は、「好き」を仕事にしたいとずっと思い続けて、好きなことを学べる今の大学に入学しました。ですが、学びがより実践的なものになっていくなかで、本当にこの道で正しかったのか、もっといい選択があったのではないか、と考えるようになり、順調に歩んできた道の先が、突然見えにくくなったと感じるようになりました。
しかし、取材を終えた今、私にとっての「好きを仕事に」の意味の捉え方に変化が生まれました。
七瀬さんの行動は確かに、愛がないとできないことです。しかし、仕事そのものだけに対するものではありません。お店を継ぐことで、自分の生まれ育った大好きで大切な土地を、商店街を守りたいという、もっと大きな想いが七瀬さんを動かしているのです。仕事自体が好き=「好きを仕事に」ではなく、「好き」や「守りたい」といった色んな想いが、その仕事をしたい理由に繋がっていれば、それこそが「好きを仕事に」なのだと、七瀬さんへの取材から感じました。
前までの私はきっと、「好きを仕事に」の意味を狭義に捉えてしまっていたのだと思います。そして、もう一度今の道を選んだ理由を思い返すと、そこは沢山の想いで溢れていました。

書いた人:うめごん
名前の由来:梅のお菓子やお酒が大好きだから。
出身:東京都
悩み:大学の実習で身につける帽子を外すと、前髪が芸術作品になっていること。最近は、特技になりつつある。

◆くどうもちやさんのSNS◆
アカウント名は全て@kudomochiyaです。
X: https://x.com/kudomochiya?s=11&t=6RVdnfea1Vtx5B-zcjVXTw
instagram: 
 https://instagram.com/kudomochiya?igshid=MzMyNGUyNmU2YQ==
facebook: 
 https://m.facebook.com/kudomochiya

くらはたずかんの編集メンバーが取材・執筆をふりかえるトークイベントを12月17日に開催!詳しくは以下のページから◎

**記事を最後まで読んでくれた皆さんへ**

編集室メンバーが書いた記事を最後まで読んでいただきありがとうございました!
くらはたずかんを運営する「くらす・はたらく編集室」は、新潟県大学・私学振興課の事業の一環として運営しています。今後のプロジェクトの継続やより良いメディアにしていくために、アンケートを実施しておりますので、回答にご協力いただけるととても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。