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わたしにとっての「間(あいだ)」

今回は久々にムサビの造形ネタです。10月に始まった造形構想リテラシー実習という授業での制作について書きたいと思います。


今回のテーマ

この授業では毎回テーマが設定され、そのテーマについて夕方までに制作・展示をして講評をもらうという流れなのでまぁまぁ忙しいです。それ故に自分でも思っていなかった作品ができたり、ブリコラージュ的にその時間で手に入るモノで完成させたり、もっとじっくり考えたかったり、毎回様々な結果になるのですが、今回のテーマは「あなたにとっての「間(あいだ)」を作品にしなさい」でした。

この授業はあくまでも造形(モノやカタチにしてみる)の授業なので、「間」についてロジカルに考え正しく答えることが目的ではなく、自分で考えそれを概念としてカタチにし他人と共有することが目的です。そのため「間」をどのように捉えるか?そして「間」をどのように表現するか?がポイントです。

イントロダクションとしていくつかの話題が提供されました。

・「間」は色々な言葉に使われる。人間・時間・空間・仲間・世間・手間・間違う、etc
・ ルビンの壺にみるような図と地。どこが間?
・ 茶室や鹿威しは空間的・時間的な「間」を体験できる
・ 剣道における「間」とは
・ なぜ人混みの中でもぶつからずに歩けるのか?
・ 音楽における「間」、お笑いにおける「間」、映画のセリフにおける「間」
・ 最近のコスパ・タイパによって「間」はどのように変わったか?
・ Zoomはなぜつかれるのか?

「間」を考えるための導入

こうすると、どんな軸で考えるのか?空間的?時間的?質的量的?、そしてそれをどのように表現するのか?いろいろなネタが浮かんできます。

つらつらと考えてみた

なんとなく考えていたときに「人と人との間、距離」みたいなものが思い浮かびました。人と人との距離は触れているときが距離ゼロで一番近いのでしょうか?

昔見た映画「THE FLY」では、人間を細胞レベルで分解し別の場所で再構築することでテレポーテーションを実現していました。(その時に1匹のハエが紛れ込み・・・)

細胞をもっと細かく分解すると原子もしくはクォークという素粒子で構成されています。全ては「粒」で構成されています。ということは「粒」と「粒」には「隙間」があるのでは?

そんな「スキマ」だらけにも関わらず、なぜ人と握手しても相手にめり込むことはないのでしょうか?自分と他人を隔てている「間」はゼロより小さくならないのでしょうか?相手にめり込んで距離が「マイナス0.01mm」とかになった時にもっと相手と分かり合えるのでは?

人間を量子化してめり込ませる

というわけで今回は「人間を量子化して相手にめり込ませることで、人と人との距離をマイナスにする」というのを制作してみようと思いました。

まずは、人間の頭部の模型を2つ作りました。今回は後々量子化(バラバラに分解)できるように。発泡スチロールブロックを使いました。

加工にはこちらのフォームカッターという機械を使います。熱線がついているので発泡スチロールブロックを熱で溶かしながら切ることができます。
https://www.too.com/product/original-designtools/profoamcutter.html

そうしてできた模型がこちら。

発泡スチロールブロックをフォームカッターで加工しました

いきなりこの模型を切り刻む勇気はなかったので、小さいブロックを小さく切って組み合わせてみました。そうすると同じ色のため「めり込んでいる感」が分かりづらく、量子化していることも分かりづらい状況でした。そこで、2つの模型に色を塗ることにしました。

色を塗った模型がこちら。

ここから2つの模型をバラバラにしていきます。模型とは言えなかなかの感覚です。心を無にして作業します。
続いて、バラバラになった模型を少しづつずらしながら組み上げていきます。

赤い方はりんごみたいになった。

人間は「粒」と「粒」で構成されておりそのスキマが表現できそうです。そしてこのお互いのスキマを組み合わせることで人間と人間がめり込むことができます。

お互いにめり込んでいるので、人と人との距離はマイナス

コンスタンティン・ブランクーシの『接吻』よりも、より深く相手を分かり合える。

コンスタンティン・ブランクーシ『接吻』

講評を通して見えてきた、自分自身に通底するテーマ

今回の制作では人間を極限まで分解したらスキマだらけなんだからもっと一体化できるんじゃない?ということを表現してみました。ちなみに前々回の制作では、粘土で作った人間をおにぎりに一体化していました。

10体の人間
ひとつのおにぎりに

講評の中では「アート制作を繰り返していくと、自分の中に通底するテーマが見えてくることがある。倉林さんの場合は何か自分らしい人間観があるのではないか?」とのこと。

そこから振り返ってみると、私は、人間を分解したりめり込ませたり一体化してみることで、人間の関係性やそこに生じる価値創造みたいなものがテーマなのかもしれないと思いました。

本来、ひとりで生きていくのは不可能なはずなのに、様々なことが個人に細分化されその結果は全て自己責任と紐付けられてしまう。そこで得た結果や置かれている状況は単なる運でしか無いにも関わらず、「自分が良ければそれで良い」と考えてしまう。人と人とを区別する境界線とは何なのか?そもそもそんな境界線があるのだろうか?

わたし

というわけで改めて今回制作した作品を見てみると「相手がめり込むことによって、その分自分が飛び出していて、相手との関わりの中で価値が顕在化した」と解釈することもできます。この辺が「造形=物理的なカタチにすること」の楽しさだと思います。(頭の中で「他人との関わることで価値を見える化する」といくら言っても他の人にはその感覚を共有できないですからね。)

正面から見るとこんな感じ
少し斜めから見ると凹凸が分かりやすい
反対から見ると、相手がめり込んでいる部分が飛び出している

ちなみに、その日たまたま藤井風ツアートレーナーを着ていたのですが、その胸には「I AM YOU」と言う刺繍がされていたのは偶然なのか?必然なのか?自分でもびっくりしました。

最近の「花」と言う曲でも、

誰もが一人
全てはひとつ

藤井風 「花」

と歌っています。

いい曲だ〜💐

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