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①「シュウカツ」への戸惑い

大学2年生の終わりか、3年生のはじめの頃。

仲間うちの会話に「エントリーシート」「説明会」「自己PR」などといった未知の単語が飛び交い始めた。

金髪だったパンク系男子も茶髪のギャル系女子も、気づいたら真っ黒ですっきりしたヘアスタイルになっており、誰だか分からなくなっている光景が日常になりつつあった。

企業説明会などを控え、リクルートスーツ姿で授業を受ける同級生も増え、否応なしに就職という大きな波が迫ってきていることを感じさせられた。

そんな私は、「就活?なにそれ?」というレベル。

いつもバカやっていた友人達が就職活動に真剣になっていった中、勝手に置いてきぼりを食らったような気がして、勝手に寂しくなっていたのだった。

なんでみんな髪を真っ黒にして、おんなじようなスーツを着なきゃいけないの?
お世辞にもかわいいとは言えない、就活用の黒いカバンとパンプス。
それの何が「個性」なの?

就活をクリアするために、意欲があって明るいリーダーキャラを演じるなんてバカみたい!!

ひとりよがりな思いだけがエスカレートしていった。
なので、いつまで経っても就活に踏み切ることができなかった。

なんなら、「シュウカツに染まったら負け」とまで思い、いろいろとこじらせてしまっていた。

しかし、
「もう大人になれよ。いつまでもぬくぬく甘えている場合じゃないんだよ。
今ちゃんとやらないと、将来ろくな大人になれないよ!?」

頑張るみんなの後ろ姿から、そんな無言のメッセージを感じたのだった。

就職や就職活動の意味はもちろん、働くことの意味すらよく分からないまま、調べようとも考えようともせず、「働かないと今後の家賃が払えないから」「大学まで出してもらって働かないのは親に悪いから」などという理由だけで就職活動を行なった結果、なんだかなーという展開になってしまった。

でも、そこから何年も経って思うことがある。

世の中でおそらく「普通」とされている、学校を卒業する→会社などに入って正社員で働き続ける→キャリアもお金もしっかり得て社会人として勤めあげる 
ということは本当にすごい。
「普通」というハードルの高さを改めて感じてしまう。

そして私は、その世界線で生きられていない。
因果関係というものはおそらくあれど、きっと自分はそういう生き方をする人間ではなかったのだ。

世の中にはそういう人もいれば、そうではない人もいる。
きっとただそれだけなのだ。

諦めかもしれないし、自分だけの悟りや真実なのかもしれないけれど。


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