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マインド的にはバリアフリーのつもりですが、建物はバリアフリーではありません

「不登校の子専用にしたらどうですか?」と言われました

正直言って、大きなお世話だったので「“不登校”って言葉、好きじゃないんですよね」って言って逃げました。
ルールを守ってくださる方ならば、肩書きとか属性とかでお断りするのは「反社会的勢力に関わる方」だけなのですが、予約の時に「反社ですか?」とか確認していません。
なので、「反社会的勢力に関わる方とわかったら」KURA5_53のご利用はお断りさせていただきます。私は300円もらうほうなので、私のお金が先方の資金源になることはないはずですが、、、来てくれる他の方が離れちゃっても困るので。

言葉として好きじゃないですけど、「不登校」「ニート」「引きこもり」ってくくられている人ですね。
学校行ってない、働いていないって人に特に偏見ありません。
「学校とか会社はちょっとまだ無理だけど、行ってみようかな」的な使われ方もアリだと思っています。

  • 5丁目まで散歩できる

  • 本読むのが好き

  • 利害関係のない人(私)となら話せそうだな

  • 絵、描くの嫌いじゃない

  • 文章書くの、得意なほう

  • カメラ、詳しい

  • 裁縫やってみようかな

  • 卓球で体動かすか!←けん玉もあります)

ハマるものあれば、気分転換に使ってください。
ひと言で言えば「そういう時期が必要な人もいる」と思っています。

人って細胞レベルで「成長したい」生き物なんで、同じとこにずっといると自然と「何かしたいな」ってスイッチ入ります。
あんま長く同じとこにいると一歩踏み出す“どっこいしょ感”が増すので、早いほうが楽よ、とは思っています。
ダメージくらったりとか、学校とか社会っぽい枠組みから離れてみると、離れたからこそ気づくこと、見えることもあると思います。

学校に行きたくない時期ありました

中学2年の時、うろ覚えなのですが春先から年明けのスキー旅行までほぼ丸1年クラスの女子に無視されていて。
毎日、居場所がなく。針のむしろ。
12年 皆勤賞なので、結果、行かなかった日は1日もないのですが。
休みたくても休めなかった。
というか、休むのも怖かった。
1日休んだら、ずっと行けなくなりそうな気もして。
意地もあったかな。
平気なフリしてたとこもあるし、正直、休み時間とか毎日どうしてたのかよく覚えていないので、思い返しても地獄の日々なのですが。

担任の先生に相談したこともありますが、担任はクラスの強い女子たちの味方で取り付く島もありませんでした。
母はもっと無理です。
「お前、そんなことされて何黙ってんだ。今すぐ家行って話つけてこい」ってタイプなんで。間違いなく、コジれます。

地獄に救いの光

当時、私には2つ救いがありました。
1つは、ひとりっ子だったこと。
ひとり遊びは得意なほう。協調性に欠けているので、“うまく合わせる”のが苦手。
無視されるターゲットが私になる前、「明日から○○ちゃん無視ね」みたいなやつが横行していて。「なんで?」って聞いても大した理由じゃなかった。正直、くだらないなって思っていて。
わけもわからずターゲットになった子は、泣きそうな顔して必死になって話しかけてくる。私、話しかけられて上手に無視できるほど器用でもなくて。別に腹も立ってない相手を無視しなきゃいけないエネルギー。なんなんだろこれって思っていた。
誰がボスだったのかもよくわからないけど、君臨したい人ほど精神的にはモロい人が多いんで。
無視され続けるのはキツかったけど、他の子がしたように一人ずつに懺悔の手紙とか書かなかったような気がするし、輪に戻ってもめんどくさいとも心のどこかで思っていた。

もう1つの救いは、学校と家以外に居場所があったこと。
習い事がたくさんあって。
公民館のサークルにも通っていて。
大学生4人くらいの英会話サークルや社会人との手話サークル、カナダの先生との英会話とか。中学生からしたら、大人との繋がりがあり。
変に腫れ物扱いもされないし、いろいろ忘れられて楽だった。
後者になら、なれるかも。

学生時代って、学校と家以外に居場所作るの難しくて、どっちかがうまくいかないと「この世の終わり」ぐらい思い詰めるけど、いずれ終わるから。
思えば、学校でヤバい子は家庭環境に問題を抱えている子が多かった。
もがくのも大事。でも、壊れるくらいなら逃げても良い。
「行きたくないなら休んでもいいよ」とか言ってくれる親、うらやましい。

明るいお知らせ:学校生活は一瞬

無視されてるほぼ1年は、めちゃくちゃ長く感じた。
いつ終わるんだろう、この地獄…的な。
でも、社会に出て振り返れば「学生時代全体ですら一瞬だった」って思う。
安心してください。学生時代の地獄、続きません。

残念なお知らせ:いじめも差別も一生あるとこにはある

「くだらない」と思っていた中2女子問題ですが、大人になっても全然ありました。
そして、それは学生時代より複雑化してて厄介です。
誰もが知ってる新聞社で仕事していた時も、自分より10歳以上年上の女性にターゲットにされて、ストレスから急性気管支喘息になり発作が頻発して死にかけました。
悲しいよね、情けないよね、くだらないことやってるのよ、大人も。

人が集まり組織になると、どうしたってパワーバランスって発揮されるもので。それがうまく働けば「組織力」。個では成し遂げられないことも叶えていける力になりますが、暇な人や心が育ってない人がまぎれていると、しょうもないゴタゴタって起きるんです。

いちいち逃げてらんないのよ。
っていうか、私が逃げなきゃいけないの?
仕事そのもので成果あげてても?
なんのために集まった人たちなの?でも、そういうのが通じない人、ウジャウジャいます。
家庭でないがしろにされている人が会社で居場所作りに必死だったりするからね。「職場って仕事する場」だとしても、そっちじゃないほうに一生懸命な人っている。

社会に出ると、学生の時と違って何十年も大海原を航海しなきゃいけない。
逃げたら逃げた先で別の何かはある。
「ツブれるならお前のほうだぜ」ぐらいの力付けないと、イヤな奴がほくそ笑み、真面目にやってるほうが損するの。わりに合わないじゃん。
私は生きるか死ぬかのとこに追い込まれたら、なぜか怒りスイッチが入りまして。(これはたぶん母のDNA。)

中2の時に味わってるやつ、私、一応自力で乗り越えてるから。
社会の有象無象の予行練習だったのね、アレ。って思える。
ちなみに、新聞社の女性は、私が喘息治ったぐらいに自滅して消えました。

おうちが超お金持ちで一生働かなくても食べていける人以外は、1回くらい越えといたほうがいい。
早いうちに「越えたぜ体験」味わっといたほうがいい。自信になるから。

母の愛情

私の母親は超厳しくて。
だいたい怒られていました。(私にも問題あります)
褒められたり優しくされたりしたこともあんまりないけど、その厳しさは本物の愛情だったなと思う。
風邪ひいても「たるんでるだろ」って怒られる。
「学生の本分は勉強。学校に行かないんだったら飯食うな」って人。
母を「優しくない」と責めたことがある。
「お母さんは自分の子供に「今」好かれようと思ってない。お前に嫌われても痛くも痒くもない。お前が社会に出て困らないようにしてるんだ。いずれわかる」と言われ、子供の頃は「親の勝手な言い分だ」って思っていたけど、社会に出たら、わかりました。
母、正しかったです。
小手先で優しく甘やかすほうが簡単だろうと思う。
見守る、手出ししない、突き放す。これ、なかなか難しいと思います。
子供が働かなくても死ぬまで暮らすのに困らないお金があるわけじゃなければ、1人で生き抜ける力を養わせるほうが後で子供に感謝される。
「あの時、休んでいいよって言う親じゃなくて良かった」って今は思えてる。
あ、だからって、よそ様の子に「学校行け」とか「働け」って言うつもりはありません。スイッチ入るまで休ませたらいいです。
今は、昭和じゃない。

行きたくない/行けない理由は様々なので一概には言えませんし。
ちなみに、社会に出てから私が味わってる荒波・障壁・モンスターはこんなもんじゃありません。私を喘息に追い込んだ新聞社の女性ももはや可愛いもんです。
機会があったらまた今度。
人生は揉まれたもん勝ちです。
それだけ、人の苦しさやつらさがわかるようになる。
デカいの越えとくと、次のが楽に感じる。

一生に1人も頭もたげるような人間と接することく過ぎていく人もいるのかもしれませんが。私はそういう人生じゃなかったようです。
人生相談とか受けられる器はありませんが、答えは私の本棚に転がっているかもしれませんし。気分転換の話し相手ぐらいならできるはず。

建物の話です

そう、物理的バリアフリー問題。
こっちも大事な話がありました。
段差あります。ガッツリ。
そして、手すりありません。
バリアフリー対応に改装とかする予定はありません。
(お金の問題で無理です)
もうあんまり覚えてない気もしますが、手話はちょっとイケるはず。筆談の対応もできます。
徒歩・チャリで来てねなスペースなので、足が痛い方や目の不自由な方には向かないです。

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